次第に会話の量が減った。同じ家で暮らしていてこんなに会話をしなかったことはない。
そんな時間を寂しいと思って、でもその気持ちよりも静かに過ごしたがっている様子のお兄ちゃんを優先しようとしたのがいけなかったんだと思う。珍しく夢を見た。病院の中を走り回る夢だった。
私の頭の中には「お兄ちゃんが事故に遭った」という情報がガンガン鳴り響いていた。とにかく早くお兄ちゃんの運ばれた病室に行きたい。それなのにどの病室にも微妙にお兄ちゃんとは違う同年代の男性が居るばかりで、たどり着けない。似た背格好の人の肩を掴んで振り返らせると別人。ナースステーションを目指そうとしても、階段ばかりが続いて足がもつれる。やがて大きな窓から見下ろした中庭に、コロンと転がる長い棒を見つける。お散歩用の、相棒のステッキ。
大量の汗が噴き出る感覚と同時に意識を引き戻され、自分が夢をみていたこととここが田舎の麻子さんの家であることを、時間を掛けて思い出した。
隣の布団に目をやると空だったので、血の気の引いた視界でのたのたとキッチンに向かうと、お兄ちゃんはちゃんとそこにいた。籐の椅子に深く腰掛けて、右足をもう一つの椅子に上げて伸ばしている。
「そのカップがお気に入り?」
お兄ちゃんは手にしていた深い藍色のコーヒーカップを少しだけ持ち上げて「これが一番手に馴染むんだ」と玄人っぽい発言をした。
「燈子。寝ながら大泣きしただろう?」
「そんな顔してる?」
「いや、見てた。で、見ていられなくなって、逃げてきた」
お兄ちゃんはふっと息を吐いて、雨の音を聞くように目を閉じた。私はお兄ちゃんの近くに、ぺたりと腰を下ろした。
「最近、どうしたの?」
ちょっと言いにくそうに顔を歪めたが、お兄ちゃんは静かにゆっくりと答えてくれた。
「……雨が降ったら気圧の云々で怪我が痛むっていう話があるだろ。あれをな、今モロに体験している」
「もしかして、梅雨になってからずっと?」
「ああ、ずっと」
目を開けて、首の角度を変えたお兄ちゃんと目があった。私の目は、たぶん真っ赤になって、少し腫れているんだろう。お兄ちゃんはちょっとだけ目を細めた。
「……我慢強いのは、お兄ちゃんの悪い癖だよ」
「そうだなあ。あんなに泣かせるなら、言えばよかったなあ」
ごめんな、とお兄ちゃんは私の頭を撫でた。気付かなかった私の方が謝らなくてはいけない筈なのに、いつだって先に謝ってしまうお兄ちゃんのせいで私はタイミングを逃してしまう。