それは半分嘘だ。小豆相場に手を出す人はギャンブル好きで、欲深い人ばかりだ。ドキドキ、ワクワクがくせになるのだろう。だから勝ち逃げする人はほとんどいない。サラ金にまで手を出すのは大ばか者だ。いまさら母を責める気はない。そのことは母の人生のほんの一部に過ぎない。母は女手一つで美幸を育ててくれた。大学まで出してくれた。人生の最後の方でちょっとつまずいただけだ。
「お金を残すどころか、借金を残すなんてひどい親だよね」
母は小さな子供みたいに声をあげて泣いていた。
「ねえ、お母さん」
美幸は自転車を止めた。
「お母さんが帰ってきた本当の理由は、私に謝りたかったからなの?」
母の泣き声が止んだ。振り返ると、母はいなかった。
三
とうとう最後の日になった。
「もう、いいよ。練習してもきっと、乗れない」
母はリビングに現れるなり弱音を吐いた。
「もう今日しかないのよ。乗れなかったら、大変なことになるんでしょ」
母はいたずらのばれた子供のように舌を出した。
「あれは嘘よ。そう言わないと、協力してくれないと思ったから」
あきれて言葉が出なかった。母は炬燵に納まってくつろいでいる。
「自転車に乗れるようになりたくて、帰ってきたんでしょ!」
「もう、どうでもいいよ。疲れたよ」
「幽霊は疲れないの!」
美幸は母の手を引っ張って、炬燵から引きずり出し、家を出た。母を自転車の後に乗せて、夙川公園に向かった。父のことを話す約束を果たして貰わなくては気が済まない。
(絶対に、今日中に乗れるようにするのだ)
今日中と言っても、もう二時間もない。奇跡でも起きない限り無理かもしれない。でも、あきらめたらダメだ。何かの拍子に乗れるかもしれない。公園に着いてすぐ、母が自転車に乗り、美幸が後から支えるいつものスタイルで練習を始めた。今日は母が何と言っても練習を続ける、絶対に。もう、明日は無い。
「ダメだ!それじゃ全然ダメだ!」
ふいに後の方でしわがれた声がした。美幸と母は同時に振り返った。少し離れた桜の木の下に男の人が立っていた。いつの間に来たのだろう?練習に夢中で全く気が付かなかった。練習を始めてから今まで、ここで人に会ったことはなかった。
彼はつかつかとそばに寄ってきた。ひと目でホームレスとわかった。ボロボロの服を重ね着して、チューリップ型の帽子を目が隠れるほど深くかぶっていた。白髪混じりの髪の毛は肩まで伸びて、髭も伸び放題だった。顔がよく見えないからわからないが、五十歳は越してそうだ。母は「大丈夫よ」と小さな声でささやいた。