「まだ二十五だから大丈夫」
「そうだね。若いって素晴らしい!」
風に乗って桜の花びらがチラホラと飛んでくる。昼間、二十度を越す陽気に誘われて、桜はいよいよクライマックスだ。時間は瞬く間に過ぎてゆく。もうそろそろ家に戻らなくてはならない。午前五時に近くなると空が白々と明け始め、一番星を残して星は見えなくなって行く。牛乳配達の小型トラックが牛乳瓶をガチャガチャ鳴らしながら、通り過ぎてゆく。新聞配達のバイクも行き交う。街が朝に向かってゆく。
「お母さん、家に帰るよ」
自転車を方向転換して、家に向かった。母は「さくら坂」を口ずさんでいる。母が歌うとバラードもポップスも演歌調になってしまう。母はいい気分で歌っていたが、突然、「さくら坂」がとぎれた。
「美幸、ごめんね。一人で大変だったでしょ。美幸にいっぱい迷惑かけてしまった」
声が涙声になっていた。
母は多額の借金を残して亡くなった。小豆相場に手を出していたのだ。何が母を狂わせたのかはわからない。仕事がうまく行って、生活にゆとりが出来たせいかもしれない。美幸が大人になって肩の荷が下りたせいかもしれない。
美幸は小豆相場がどんなものなのか知らない。でも、それが危険で一般の人が手を出してはいけないものだと言うことは知っていた。母は小豆相場をしていることを美幸にずっと内緒にしていた。郵便物からそれがわかった時、何度も止めるように言ったが、母は聞く耳を持たなかった。
「私の稼いだお金をどう使おうと私の勝手でしょ。ほっといて!お母さんのすることが気に入らないなら、出て行けばいいでしょ!」
本気で言っているのではないとわかっていた。しかし毎晩続く言い争いに美幸は疲れきっていた。
「わかった。もう何も言わない。でも、借金だけは絶対にダメよ。約束して」
母を信じるしかなかった。信じたかった。しかし、母は小豆相場に手を出してしまった多くの人がたどる破滅への道をひた走った。勝ったのは最初の内だけだった。負けが続くと、取り戻そうとむきになってどんどん深みにはまって行った。
それでも、スッカラカンになったところで、「ああ、バカなことをした」と、目覚めればまだ救われた。母はサラ金からお金を借りて、一発逆転を目指した。それに負けると、再びサラ金からお金を借りた。サラ金の借金をまた別のサラ金から借りる最悪の事態になっていた。
全てを知ったのは、母が亡くなってからだった。支払いが滞ったため、サラ金からの電話が相次ぎ、取立ての人が美幸の会社に来た。母の部屋からはサラ金の借用証書や小豆相場の収支決済の書類が山ほど出てきた。貯金を使い果たし、マンションを担保に公的資金を借りた。母名義のマンションは四月に家財ごと競売に掛けられることになった。
「美幸にお金を残してやりたかった。淋しい思いさせて、苦労させたから・・・」