庭に紫陽花が咲き乱れていました。俄かな雨上がりの雫が、密集した蒼い花弁の上をするすると落ちていって、その下に這う蝸牛の丸い貝殻に弾けました。入梅の頃、空は連日憂鬱な鈍い鼠色をして、地面はくにゅう、と草鞋を黒ずませました。でも、紫陽花だけはまるで夜山に揺れる鬼火みたいに、ぼう、ぼう、鮮やかに発色しているのでした。
ぷつっ、と一つを摘んで私は家に戻りました。草鞋を脱いで居間に上がれば太郎さんは依然、眠っていました。薄暗い部屋の中、薄べりも敷かずに畳の上に大の字になっていました。ごおう、ごおう、と大きな鼾は、ぷくう、ぷくう、と小さな鼻に、鼻提燈が膨らみ、萎んでいく様を錯覚させるようでした。
「太郎さん、久方ぶりに雨が落ち着きましたよ。紫陽花が見事に咲きまして」
私は太郎さんのお顔元に腰掛けました。
「あんまり綺麗なものだから、一つ摘んできてしまったわ」
両手を皿にして水の代わりに紫陽花を入れて掲げてみました。太郎さんにも見えるように斜めに傾けてみましたが、相変わらず、ごおう、ごおう、と鼾をかくばかりでした。何だか寂しいような気持ちになって、でも慣れたものです、私は紫陽花を卓に置いて、太郎さんの隣に寝転がりました。
「部屋に花があるだけで随分と華やかになりますね。空気も何だか澄んだようで。ユメもなんだか、眠たくなってきました」
薄く、私は目を瞑りました。すると途端、隣の鼾がぴたり、と止んで、
「おや、ユメさんも眠るのかい。いいぞう、眠るのは……」
と太郎さんは呟いて、ごおう、ごおう、とまた鼾をかき始めました。ふふっ、と微笑が湧いてきて、それから私は、ちらり、卓上に見える紫陽花の色合いをぼんやりと調べました。
――太郎さんのところに嫁いで、もうじき一年が経つでしょうか。
『終日寝てばかりいた三年寝太郎が、突然むくりと起きあがって村の旱魃を救った。寝太郎はただ寝ていただけでなく、ずっと旱魃から村を救う方法を考えていたのだった』
去年の夏のこと。そんな三年寝太郎の偉業は瞬く間に広がって、五十里も離れていた私の村にまで流れ着きました。考えることはどの村の人も同じようで、そんな英雄の嫁にと各地の女性が縁談にこの村に集まりました。とはいえそれらは結局村の財政に拠る戦略的結婚ですから、結婚の意志もなく婚期が遅れていると心配した両親に送り出された私は、体裁上緊張の面持ちを拵えましたが、小旅行くらいの気分でした。岩を転がしたなんて腕白な、川流を変えるなんて聡明な、そんな英雄の実際の風采がどんなものなのか興味は引かれていましたから、そのお顔だけ拝見して帰ろう、とそんな軽い気持ちでした。