昔、この世を我が世と思った関白道長公の側近に源頼光という武士がいた。頼光は武門の名将「朝家の守護」と称されていたが、藤原摂関家の家司としての貴族的面も併せ持っていた。頼光には十七歳になる非常に美しい娘がいた。
その美しさとは容貌が整っているという外面に、洗練された都会的なセンスとか気品や教養という内面の美も加わった美しさだった。当然、頼光の自慢の種だったが、頼光にはもう一つ自慢があった。それは世に「頼光の四天王」と呼ばれた家来たちである。
四天王たちは体つきが立派で、武芸に秀でて肝っ玉が太く、忠誠心があり知略もそなえていた。その中でも坂田金時は際立っていた。もし京童が大威張りで大路を歩いていても彼と行きあったならば、あわてて道端に避けるのが常であった。そんな金時を頼光は外出する時には、よく供として用いた。
特に頼光の娘の住んでいる屋敷へ行く時は、何時も金時を供として連れて行った。他の四天王たちはひどく羨ましがった。が、金時には彼らが何故羨むのか分からなかった。それが分かったのは、つい数ヵ月前のことである。
数ヶ月前に金時は、頼光の娘を垣間見たのだ。何時ものように頼光の供をして彼女の屋敷に来て、庭の柴垣の所でかしこまっていた時のことである。縁の奥の部屋では、頼光と娘が何やら話し合っていた。話し声は漏れて来るが、聞き取れはしない。金時は会話を耳にしながらボンヤリと東山を眺めていた。
東山は夕日を浴びて赤く染まっている。この屋敷に来て一刻は遠に過ぎたようだ。思わず金時は口に手を当てた。さっきからあくびが出て仕方がない。再三眠気が襲ってくる。金時は顔を無理にしかめると、二三度力を入れて頭を振った。その時である不意に妻戸を押しあけて、頼光が部屋から出て来た。待ちくたびれた金時がほっとした面持ちで顔を上げると、頼光の後からうら若い女がついて来る。金時にはすぐに頼光の娘であると分かった。
頼光は縁側から金時に帰ることを伝えた。すると娘は父に別れのあいさつをして、賀茂の祭りのあくる日の行列見物に連れて行ってくれと、甘え声で付け加えた。頼光は上機嫌で返事を返す。この娘を頼光はゆくゆくは高貴な公家もしくは宮家に奉る気持ちでいた。
金時は父と娘のやり取りを聞きながらも眼は、ひたむきに姫の顔を見つめていた。金時の視線に気づいた頼光は、突然、金時に立ち去れと目で合図を送った。金時は弾かれたように立ち上がると、真っ赤な顔をして帰り支度を始めた。
金時は馬に乗り頼光の牛車を警護していたが、帰る途中ずっと頭の中には姫の姿が浮かんでいた。頼光の屋敷に帰り着くと、そのまま詰所に向かった。
詰所には他の四天王たちが詰めていた。金時が部屋に入るやいなや声を掛けてきたのは