黄ばんだ鋭い明かりが朝から晩まで往来を照らし続ける地下鉄のホームで、一人の少女が学校指定の深緑のスクールバックを肩にかけ、ひんやり冷たい青いいすに腰掛けていた。光の下で人工物のようにほんのりと光る彼女の手の上には小さな単語帳が開かれ、いちまいいちまいの紙に異国の言葉がひとつずつ、載せられている。地下鉄のホームをいくども、生ぬるい風が通っていった。人間の認識に新しい、おどろおどろしい地底の空間から吹いているといわれても、何の違和感もしないような風だった。電車がやってくる両方向の、グラデーションになった闇の気配は、ホーム内に満ち満ちていた。
電車の到着時刻が近づき、ホームにも人が集まりだしたために、彼女は立ち上がって点字ブロックにつま先をあわせた。電車が参ります、点字ブロックの内側にお下がりください、すいません、いつもお世話になっております、はい、ええ、その件ですが先方にお伺いしたところ、まじか、結局行ったの、先輩にめっちゃ誘われてたもん、あそこで行かなきゃまずいっしょ、でもさ、聞いて、はい、なるほど了解いたしましたまもなく電車が到着いたします。声は彼女の鼓膜をすっとなぞっては、鈍い振動を与えて消えていった。その中で。
「あの」
その声だけが彼女の意識にはっきりとした輪郭をつくりだし、彼女はけだるげに振り返った。紺色の浴衣を着た無骨そうな男が立っていた。どこかでお祭りあったっけ、と彼女は瞬時に考えをめぐらせたが、思い当たるふしはなかった。男は重量感のある骨格で、目のまわりの皮膚が少し盛り上がってまぶしそうな表情をしていた。どんとした厚い唇をかみ締め、おせじにも美男子とはいえなかったが、彼の周りだけ重力の働きが違うかのような、妙な迫力を漂わせていた。彼は大きな手で、スーパーのビニール袋を彼女のほうに突き出した。
「え」
「檸檬です。置くと爆発するので、このビニール袋に入れて持ち運んでください。」
彼女のまつげが、ばちばちと揺れた。男は見えない透明な糸に引っ張られているかのように口角を上げた。彼の目は地下鉄の進行方向の果ての色をしていた。
「汽車が来ましたよ」