お母さんは少し変わっている。よく独り言を言うし、急にいなくなっちゃうこともある。どこに行ったのか、お父さんは知っているんだと思う。夜、自転車に乗って迎えに行って、いっしょに戻って来るんだから。
あたしは小学校五年生。学校から帰ってきたら、お母さんが出かけるところだった。
「ちょっとそこまで。ノシノシノシ」
ぶつぶつ言いながら、歩いて行っちゃった。
「ねえ、お母さん、どこに……」
言いかけたけど、お母さんは地面を踏みしめて、坂道を下りて行った。お父さんに探しに行ってもらうしかないね。そう思いながら、うちに入ったんだよ。
午後四時。ちょっとおなかがすいた。テーブルの上にクッキーが置いてあるのに気がついたの。ポットにお湯。紅茶の葉っぱも用意してある。お母さんはへんてこな人だけど、こういうところは優しい。かばんを置いて、紅茶を飲み始める。クッキーを口に入れる。
シューッという音がした。ドアのすきまから白い煙が入ってくる。火事? 逃げなくちゃ。でも、こげくさいにおいはしない。白いのは煙じゃなくて、霧のようなものだった。部屋に霧がたまっていく。ふわー。あくびが出る。まぶたが重い。そして、テーブルにつっぷして、眠っちゃったんだよ、あたし。
目が覚めた。気分はすっきり。もう夜だね。そう思ったんだけど、窓の外は明るかった。朝の太陽? 一晩たっちゃったの?
お母さんもお父さんもいない。どこかに泊ったんだろうか。窓の外を見たら、土の道が広がっていた。コンクリートの道路のはずなのに。タンポポの花が咲いている。
外に出てみようって思ったの。でも、ドアに体がつかえちゃった。居眠りしている間に太ったんだろうか。クッキーを食べすぎたのかな。
なんとかドアをすりぬけた。お父さんとお母さんを探しに行かなくちゃ。一本道だから、ふたりが帰って来れば会える。おなかがぺこぺこ。駅前のコンビニでおにぎりでも買って食べよう。坂を下ると駅に出るんだよ。そのあたりにコンビニなんかのお店があるの。でも、目に入ったのは低い草の生えた野原だった。
草と泥と水の混じったにおいがした。あたしは鼻を持ち上げて、方向を確かめた。えっ? 鼻を持ち上げて? 太くて長くてごわごわの茶色の鼻が見えた。顔をうごかすたびに鼻もゆれる。まるで象だよ。あわてて歩いたら、足音が響いた。ドシドシドシ。これって、象が地面を踏みしめる音だよ。首をひねって下を見たら、臼のような太い足が見えた。何、これ! ブオーブオー! 口から出てきたのは象の鳴き声だった。あたし、象になっちゃったの? 悲鳴をあげながら走っていたら、水のにおいが強くなった。
川だ。土手に踏ん張って、鼻を伸ばした。のどがからからだったから、鼻で水を吸って、口に運んで、ごくごく飲んだ。水の表面に象の姿が映っていた。体中に茶色の毛が生えている。口からは太くて曲がったキバが伸びていて……。それは象っていうよりも……、マンモスだったんだよ。
* *