小説

『120』小岩井巌(『メリイクリスマス』太宰治)

平日とはいえ、その小さな映画館のレイトショーはぎゅうぎゅうの立ち見で、間島と森下は勤務後にもかかわらず、館内の一番後ろに立つことになってしまった。
参ったなあ。間島は思った。そんなに話したことのない同僚と来るようなレイトショーでこのような立ち見は非常に気まずい。
なんでこんな、オヤジしか来ないようなアングラ映画のレイトで、しかも雨の日に、立ち見なんだ、おかしくないか、と、慌てて森下のぶんもコーヒーを買いに行く。なぜか普通のブレンドコーヒーは売っておらず、「血みどろコーヒー」という、現在同館で上映されている、B級任侠映画にタイアップした謎の飲み物しかロビーには売っていなかった。
なんなんだこれは。
仕方なく、それをふたつ買うことにする。
コーヒーをオーダーすると、慣れていない様子の眼鏡のぽっちゃりした男性スタッフが、やっきになって「血みどろコーヒー」専用の「切り込み紙コップ」がない、「切り込み紙コップ」がない、と先輩店員に甲高い声で尋ねて騒ぎ出し、ロビーのお客がざわつき始めた。あの、もう普通の紙コップでいいですから、と、眼鏡スタッフに声をかけるが聞く耳を持たない。
結局、十分ほどかかってやっとコーヒーを手に入れ、劇場に入ると、すぐに立っている森下の姿が目に入ってきた。
森下はきちんと薄手のコートを畳み、足元の真っ白いカバンの上にそれを置いてスマホを見ていた。間島と一緒に、雨の中を歩いてきたとは思えない清潔ないでたちだった。家も綺麗そうだなぁ、森下さんは。間島が駆け寄ると、森下は笑顔になって顔をあげた。
「お待たせしてすみません、しかも、こんなのしかなくて」
「え?なんですか?」
おずおずとコーヒーを間島は差し出す。
「・・・まずかったらすいません、あの、今ここでもやってる、なんか、そこの看板の、・・・網走の、更生したヤクザの人たちが、エッグベネディクトのカフェを開業する・・・映画?にかこつけた飲み物らしいです」
こういう飲み物でうまかったためしというのは、ほぼないと間島は思った。その落胆した顔を森下はしばらくながめ、私こういう企画っぽいのはわりと好きですよ、と、にっこり笑顔で口をつけた。
 

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