チャリンという鈴の音とともに武志がペットショップ「犬のお家」に駆け込んできました。
ショップの中にいた女の子が「キャッ」と叫びました。
「あっ、すみません」
武志が恥ずかしそうに俯いていると、亜希子が駆け寄ってきました。
「ユキちゃん、驚かしてごめんね。武志君、テンションあがりすぎ」
コツンと武志の頭を叩きました。
怒ってはみたものの、亜希子も武志のテンションがあがる気持ちはよく分かっていました。
今日から夏休みが始まったのです。
毎日「犬のお家」に通えるので、武志は嬉しくてたまらないことがよく分かっていたのです。
***
武志は犬が大好きですが、マンションでは飼えませんでした。
そこで、犬を飼っている友達の家へ遊びに行っていたのですが、犬とばかり遊んでいるので出入り禁止になってしまいました。
そんなどん底の気持ちの時に、お買い物で行った隣町で出会ったのが「犬のお家」でした。
お母さんの買い物の間、商店街をぶらぶらしていたら、脇道の先に見つけたのが「犬のお家」の看板でした。
「犬」という文字に誘われるように、武志はお店の中に入っていきました。
そのお店は、今まで見てきたペットショップとは全く違っていました。
店の中を子犬から、ちょっと大きめな犬まで自由勝手に走り回っていました。
武志を見てうなっていた犬も悪者ではないと分かり、すぐに静かになりました。
子犬が武志の足元へ近づいてきました。思わず抱き上げると、頬をペロペロ舐めてきます。もう、可愛くてしょうがありません。
「いらっしゃいませ」
店の奥から亜希子が出てきました。
武志は慌てて犬を床に置くと「すみません」と大きな声であやまりました。勝手に犬をいじったりして怒られると思ったからです。
「いいのよ、かわいい子でしょう」
亜希子はそう言うと子犬を抱き上げ、そっと武志に渡しました。
それから、武志は週末には、「犬のお家」に行きました。
ここにいる犬は、捨てられてしまった犬や、どうしても飼うことができなくなった犬で、素敵な飼い主と出会えば、「犬のお家」から卒業すると、亜希子が教えてくれました。
「それで食べていけるの」と亜希子に聞いても「まあ、なんとかなるものよ」と亜希子は笑うだけです。
武志がマンションでは犬が飼えないことを亜希子に言うと、「なるほど、じゃあね」と言って教えてくれたのが犬の紙人形でした。
一枚の色紙から簡単な形の犬を作ることから始めて、何枚もの色紙を使って犬人形を作る技を武志は亜希子に教わりました。
すぐに武志は亜希子が驚くほど、うまく作れるようになりました。
土曜日の「犬のお家」でお気に入りの犬と遊んで、家に帰ってから納得がいくまで犬の人形作って、日曜日には亜希子に見せに「犬のお家」へ行く。
武志の楽しい週末です。
楽しい週末ですが、やはりたったの2日間だけでした。
しかし、とうとう夏休みがやってきました。
毎日「犬のお家」に行って、毎日犬人形を作れる夏休みになったのです。
***
「犬のお家」に入るとすぐに武志は、「何かあるの?」と亜希子に聞きました。
「犬のお家」に来る途中で、いつもとは少し違う賑やかな空気がしていて、商店街のどの店の人も嬉しそうだったからです。
「ああ、そうだ、そうだ、武志君は、この町の子じゃないから知らないのよね。お祭り、夏祭り」
「夏祭り?」
「そう、明日から犬居神社の夏祭り。犬居神社は犬が神様なのよ。武志君のためにあるような神社でしょ。その神社の夏祭り。そうだ、明日一緒に行こうよ」
返事もしないうちに、店の奥から夏祭りのビラをもってきて、「明日は夕方から行くからね。お母さんには電話しておくね」
と決まってしまいました。
次の日の夕方、武志は生まれて初めて夏祭りに行きました。
祭りで賑やかな参道についたとたんに、亜希子はお目当てのたこ焼きの列に並びました。
武志も参道の一番奥のバナナチョコの店に人をかき分けて進みます。思っていた以上の人混みです。その時です。「おーい」という声が聞こえました。
沢山の声が飛び交っているお祭りです。けれど今度は「おーい、坊主」と聞こえてきました。参道の脇の道の暗がりから聞こえてきます。武志は人の流れから逃げるように脇道に入っていきました。
脇道に入ったすぐにお爺さんがいました。こちらに来いと手招きしています。
「僕?」
惹きつけられるように歩いていきました。
近くで見たお爺さんに武志は驚いてしまいました。長い白ひげが胸まで伸びた優しそうな背の高いお爺さんでしたが、白い眉毛が5センチくらいあるのに驚いてしまったのです。
「犬人形作りは楽しいかい」
「お爺さん、どうして知ってるの」
不思議そうな顔をしている武志を見て、お爺さんは「ホッホ」と笑いました。
「楽しいけど、けどやっぱり本物がいいや」
「そうか、そうか。わしも犬が大好きだ。まあ、本物とはいかんが、これで作ってごらん。もっと楽しくなるぞ」
そして、一塊の粘土を武志に渡しました。薄い灰色の柔らかい粘土でした。
両手の中にある粘土を見つめていると「また、来年ここで会おう」というお爺さんの声が聞こえました。
「えっ」と顔をあげるとお爺さんはいませんでした。ぐるりと見渡してもどこにもいませんでした。
お爺さんの声が、また聞こえてきました。
「そうそう。粘土をもらったことは内緒な。内緒だぞ」
***
武志はお爺さんからもらった粘土で、犬人形を作るようになります。
不思議なことに、いくつ作っても粘土は減りませんでした。
粘土が無くなってしまっても、朝になると粘土は元の塊にもどっていました。
武志が犬人形を「犬のお家」に持っていくと、亜希子が色をつけてくれます。
亜希子が彩色すると、今にも動き出しそうな犬人形になるのでした。
夏休みも終わり、2学期も終わり冬休みになる頃には、もう武志の部屋は犬人形でいっぱいになってしまいました。
置くところがないと、武志が亜希子に相談すると「犬のお家」に置いてくれることになりました。
そして、「犬のお家」に立派なガラスケースに収まった「武志の犬のお家」ができたのでした。
冬休みも終わるころには、ガラスケースは犬人形でいっぱいになりました。
新しい犬人形をどこに置こうか考えていた武志に亜希子が言いました。
「もういっぱいね。実はね、武志君に前から相談しようと思ってたんだけど、この犬の人形を売らない?」
「えっ、売るって」
「武志君と同じでね、犬を飼えない代わりにこの人形と一緒にいたいとか、亡くなった犬にどこか似ているから欲しいって言うお客さんがいるんだな」
ガラスケースをじっと見ていた武志が「外に出たいよね」とつぶやきました。
犬人形がだんだん増えてきたのは嬉しいのですが、「犬のお家」で走り回っている犬達をみていると、ガラスケースの中でじっとしている犬達が少し可愛そうに思っていたのです。
「えっ何?」
聞き返す亜希子に武志は言いました。
「欲しい人にあげていいよ」
「それはだめだよ。武志君がつくったのだから、少しだけ人形代はもらおう。ほら武志君の粘土代にもなるでしょ」
「粘土代は…」
と言いかけて武志は、その先の言葉を飲み込みました。
お爺さんから粘土をもらったことを、亜希子には話していませんでした。内緒の約束を守らなくていけないと思っていたからです。
それから「犬のお家」に行くたびにガラスケースの人形は減っていきました。武志が作るよりも、売れる数、ガラスケースから出ていく人形の数が多かったからです。
***
また夏祭りが来ました。
今年も亜希子と一緒に夏祭りに武志は行きました。
今年も亜希子はたこ焼きの列に嬉しそうに並びます。
武志はバナナチョコの列を過ぎて参道の外れにいきました。
去年の夏祭りの約束通り、あのお爺さんが微笑んで立っています。
また、武志を手招きすると、くるりと振り返って歩きはじめました。
お爺さんのあとについて歩いていくと小さな社に着きました。社の扉が静かに開くとお爺さんは社の中に入って行きました。お爺さんの後を追って武志も社に入りました。
入ったとたん武志は「あっ」と叫んで固まってしまいました。
社の棚中に犬人形が並んでいたのです。みんな見覚えがある、武志の作った犬人形です。
棚の前に立っていたお爺さんが、振り返って武志に言いました。
「人間が捨てて、次の飼い主が見つからなかった犬は殺されてしまう。悲しい事じゃ。今年もたくさんの犬が、誰からも愛されなかった犬が亡くなってしまった」
お爺さんは、犬人形をひとつ取りあげて撫でました。
「けどな、武志が心を込めて作ってくれた犬人形のおかげでな、犬の霊はこの人形の中で、もう一度生まれ変わることができた。本当にありがとうな」
棚に犬人形を戻すと、お爺さんはパンパンと手を叩きました。
すると犬人形が次々と小さなかわいい犬に変わり社のなかを走り回りました。
どの犬も楽しそうに鳴いているのですが、鳴き声は聞こえません。
「本当にありがとうな」
お爺さんの声と同時に、社の明かりは消え真っ暗になりました。
扉の向こうだけが祭りの明かりでくっきり見えています。
社の扉からでると、そこにはたこ焼きを持った亜希子が微笑んで立っていました。 まるで武志を待っていたみたいです。
亜希子へ駆け寄り、武志はこれまでのことを一気に話しました。内緒にしていた気持ちが爆発してしまったのでした。
「へえ、この神社の神様なのかな」
「亜希子姉ちゃん、僕の話を信じてくれるの」
「とっても変わった話しだけど、信じるしかないかな。だってあれだもの」
亜希子が指さした社の上にお爺さんが座っていました。
お爺さんが空に手を振りあげました。
すると、手の先から小さな塊がいくつも広がって飛んでいきました。
空の高くまでいった魂は、光に包まれた犬にかわります。
沢山の犬、色々な種類の、色々な大きさの犬が輝いて、そして消えていきました。
「すごく綺麗だね」
「そうね、綺麗。それに嬉しそうね。みんな武志君にありがとうって言ってるみたいね」
亜希子にそう言われて、武志は少し恥ずかくなりました。
空の輝きが消えて夏の夜空に戻ったときには、お爺さんも消えていなくなっていました。
***
次の日の朝も、武志は大きな犬のぬいぐるみと一緒に目を覚ましました。
犬の紙人形をつくり続けている武志をみて、お母さんが買ってくれたのです。
ただし、夏休みが終わるまで毎日家の手伝いをするという約束付きです。
思いっきりぬいぐるみを抱くと、何かとても懐かしい気持ち、とても楽しかった気持ちに包まれる気がしました。
けれど、それが何なのか、ぬいぐるみを抱くたびに暖かくなる心の理由を武志は分かりませんでした。
***
亜希子は社の横の細い階段を上がっていきました。
鬱蒼とした林を抜けると、亜希子の実家の大きな屋敷があります。
屋敷はひっそりと静まりかえっていました。
神主の父も兄夫婦も祭りの行事で留守のようです。
亜希子は薄暗い廊下の角をいくつか曲がって、屋敷に不釣り合いな木製の大きな扉の部屋に入っていきました。
ここは先祖代々を祀っている部屋で、部屋の壁には御先祖様の写真がずらりと飾られています。
部屋の真ん中ある祭壇には、最近亡くなった神主の写真が立てかけられています。
亜希子の祖父でした。
厳粛な顔で写真に収まっている祖父を亜希子は睨みました。
「武志君で終わりにしましょうよ」
写真の中の祖父の顔がムッとして、すぐに悲しそうな顔になりました。
「犬が大好きな子に必ず会えるわけでもないし、もし会えても子供を騙しているようで、心苦しいの」
「けど、これは我が一族代々が…」
か細い声が写真の中から聞こえてきました。
亜希子の一族の長老は死ぬと犬の守神になります。
普通は神様になって祀られているだけなのですが、なぜか祖父は「実社会で役に立つ神になる」と現世に残ってしまったのです。しかし、霊ではなにもできません。そこで、実社会との繋ぎ役を孫の亜希子にしたのでした。
「もう止めよう」
「けど、まだ成就できない犬の魂が…」
どんどん声が小さくなります。
これまで何回も繰り返されてきた会話です。そしていつも亜希子が、祖父のしつこい懇願に負けるのでした。
「わかった。わかったわ。とにかく次が最後だからね、お爺ちゃん、絶対だからね」
写真の中の、長い白眉の顔が満面の笑みに変わるのでした。
おわり。