小説

『未来老人』関根一輝(『かぐや姫』)

 

 

「ブリコラージュだよ、ブリコラージュ」

 家に帰ると居間に見知らぬ老人がいて、その老人を指さして優太が言った。ブリコラージュとは十歳になる息子のマイブームだ。



 ブリコラージュと最初に言い出したのは、半年ほど前に、自然公園へ散歩に行った時だ。

「人類学者であるレヴィ=ストロースは、南米の先住民達を研究したんだ」

「南米?先住民?何の話だ」

「研究の中で先住民達が、何か役に立ちそうだ、という理由で、ジャングルで物を拾い集める習慣があることがわかったんだ。これってすごいことだと思わない?」

「何がすごいんだ?」

「だって役に立つことが決まっているわけじゃないんだよ。そんなものを持って帰るという決断がすごいじゃないか。そして実際にその拾ったものが役に立って、コミュニティの危機を救うことがあるんだ。役に立つかわからないものを拾っておいて、あとでそれらを使って課題を解決する。そのことをレヴィ=ストロースはブリコラージュと名付けたんだ」

「なぜそんなことを知っているんだ」

「お父さんはなぜそんなことを知らないの」

 そう言うと、優太は足元に落ちていた細い枝を拾った。その枝を360度見回すと、納得したような表情を浮かべ、ポケットに入れた。

「そんなものを持って帰ってどうするんだよ」

「ブリコラージュだよ、ブリコラージュ」

 その後も、何かにつけて物を拾い、ポケットに放り込んだ。時々首を捻り、置いていくものもあるから、彼なりの基準があるのだろう。

 家に着き、鍵を取りだそうとポケットに手を入れるが、鍵がない。私は家を出た時のことを思い出す。妻の方があとに家を出たから、私は鍵をかけていない。きっと鍵を家の中に忘れてしまったのだろう。妻の帰りを待つか?

「お父さん、ブリコラージュだよ。ありあわせのもので対処するんだ」

 優太はポケットから枝を取り出し、鍵穴に突っ込んだ。

 やめろ、と叫ぶ前に、細い枝は鍵穴の中でポキッと折れた。その後、鍵屋を呼ぶ羽目になり、それなりの修理費がかかった。

 領収書をもらい、横に立つ優太の顔を睨む。

「そりゃあ、いつも上手くいくとは限らない」



 老人はまるで自分の家であるかのようなくつろぎようだった。優太は、まぁまぁ、と言い、その老人にお茶を出している。

 私は何から手をつけていいのかわからず、頭を抱える。私は最大限の敬意を払い、老人に尋ねた。

「あなたはどちらから来られたんですか?」

 あなたは何者ですか?どうして他人の家で、そんなにくつろげるんですか?

 老人はにんまりと笑い、答えた。

「未来」

 私は再び頭を抱える。優太が口を開く。

「このおじいちゃん、どんな質問にも未来って答えるんだ。でもすごいんだよ」

「何がすごいんだ?」

 優太は、こっちこっちと私の手を引き、キッチンに連れて行った。これ、ほら、とシンクの蛇口をひねった。

「昨日まで蛇口が変になっていたでしょ。水の出方が悪いって言っていたじゃないか。ほら、直っているでしょ」

 確かに昨日まで蛇口をひねっても水が出なかったり、逆に突然勢いよく水が出たりして、調子が悪かった。それが見事に直っている。見ず知らずの他人に、家を修理されたことに気味の悪さを覚えた。

「あんまり勝手に家のものに触らないでほしいですね」

「ああ。おじいちゃんが直したんじゃないよ。僕が直したんだ。おじいちゃんに教えてもらいながらね」

 なぜかこのあと一週間ほど、その老人は居座ることになる。優太は色々なことを老人から教えてもらい、いつの間にか一人で出来ることが増え、みるみる逞しくなっていった。相変わらず老人は「未来」としか話さないが、多彩なジェスチャーを使いこなし、優太と意思疎通を図っていた。親として息子の成長は何よりもうれしい。時に老人は夫婦の喧嘩の仲裁も行った。(喧嘩の発端は、この老人に関することだったのだけれど)

 そんなこともあり、自称未来から来た老人を私は信頼しつつあった。


「今日はみんなで遊園地でも行かないか」

 優太が目を輝かせる。

「賛成!絶対行こう今すぐ行こう。もちろんおじいちゃんも行くよね?」

 老人は、泣き笑いのような表情を浮かべた。そして俯き、肩を震わせ、嗚咽した。

 もしかしたら、この老人はずっと孤独だったのかもしれない。そういえば、一週間もこの家にいるのに、誰もこの老人を捜している様子がない。

優太は老人が伝えようとすることを、粘り強く理解しようとしている。私たち大人は、優太を介して老人を理解していると言ってもいいくらいだ。

 老人は、まるで家族の一員のように遊園地に誘ってくれる優太に、感激しているのだろう。未来、しか語彙を持たない老人は、非言語コミュニケーションを尽くして、感謝の意を表現するはずだ。老人は、優太と向き合った。そして、叫んだ。

「絶対に行くな!」

 老人が「未来」以外の言葉を発したのは初めてだった。

少しして、優太が口を開く。

「なんで、遊園地行きたい!」

 老人は首を痛めるのではないかと思うほど、首を横に振った。

「絶対に行くな!絶対に行くな!絶対に行くな!」

 老人は叫び続けた。優太はしびれを切らし、言った。

「もういい。おじいちゃんは家で留守番していて。僕たちだけで行くから」

 老人は、優太の腕を掴み、叫んだ。絶対に行くな!

 息子は突然腕を掴まれ、痛い、と言った。驚き、目を潤ませている。

「何をするんですか。手を放してください」

 私は老人を咎める。

 老人は申し訳なさそうな顔をし、もう一度、絶対に行くな、と言った。

 その日、老人は門番のように玄関に立ち続け、家族が出かけるのを阻み続けた。

 結局遊園地には行けず、優太は、「おじいちゃんなんて大嫌い」と言って憤慨し、いつの間にか眠ってしまった。



 翌日、老人を老婆が訪ねてきた。老婆は「ありがとう」「迎えに来たよ」としか話さない。その言葉に老人は肩を震わせ、嗚咽した。二人は抱き合い、「未来、未来、未来」、「ありがとう、ありがとう、ありがとう」と言い合った。

そして丁寧に私や妻、優太に頭を下げ、竹のような形をした不思議な乗り物に乗って、どこか遠くへ消えていってしまった。

 何がなんだかわからない一週間であった。

現在は普通の生活に戻り、優太は相変わらずブリコラージュにハマっている。今となっては、老人の顔を思い出すこともできない。いつもの平凡な日常が繰り返される。



 タイムマシーン「かぐや姫」の使用権がやっと私に回ってきた。もちろん戻るのは、あの日、だ。遊園地に向かう道中、交通事故に遭い、家族を失ってしまったあの日だ。ずっと後悔し続けていた。

 どうしてあの日、遊園地に行こうなどと提案したのだろう。かぐや姫は罪を犯し、その罰として地上に降り立ったという。私は罪を償うために過去に行くのだ。

「言葉は、二つ選べますが、本当にこの二つでいいんですか?もっと使い勝手の良い言葉があると思いますが」

 過去に戻ってべらべら喋られては困る、という理由から、過去で話せる言葉は二つと決まっていた。私は「未来」と「絶対に行くな」の二つを希望する。

「いいんだ、この二つで。重要なことは伝えられるはずだ」

「わかりました。ああ、書くのは厳禁ですよ。未来から来た人間の痕跡が残っては困りますから。あと、本当に片道のみで良いんですか?過去にいられるのは10日間までですよ。それ以上は体が耐えられないんです。10日間を過ぎると、体が消滅しますよ」

「わかっている。だけど、お金がないんだ。あと、上手くいけば、妻が助けに来てくれる」

「奥さんがいらっしゃるんですね」

 いたんだ。ブリコラージュがマイブームの息子も、と心で呟く。

 竹のような形をしたカプセルに入り、目を閉じる。では、いってらっしゃい、という声が遠くから聞こえた。



「おじいちゃん何しているの?家はどこ?」

「未来」

「未来?何かおかしいね?大丈夫?」

 過去の優太は首をひねり、少し思案し、ハッと何かをひらめいた様子だった。

「おじいちゃん、ウチに来る?ブリコラージュだよ、ブリコラージュ」

 家に着き、しばらく経つと、過去の私が帰ってきた。過去の私は過去の優太の説明に頭を抱え、私に尋ねた。

「あなたはどちらから来られたんですか?」

 私は、想定された通りの質問をされて、思わず笑ってしまう。そして、得意気に答えた。

「未来」