小説

『浦島家に伝わる玉手箱の呪い』村木志乃介(『浦島太郎』)

 浦島太郎が、助けた亀に連れられて竜宮城で遊び明かした、などと世間には広まっているが、事実は違った。

 実際の太郎は、借金を繰り返しては博打を打ち、嫁の待つ家には帰らず、女遊びに浸っていた。やがて借金取りに追われ、家に帰ろうとするも、簡単には敷居を跨げない。

 そこで思いついたのが玉手箱だった。

 亀を助けた礼に竜宮城に行っていたと壮大な嘘をつき、その証拠にと玉手箱を見せたのだが、誰が見てもわかるほど粗末な木の箱だった。

 そんな嘘をつく太郎を不憫に思った嫁は、太郎を家に入れてやったのだが、家族からはヨボヨボの爺さんになるまで煙たがられたという。

 それがどういうわけか、時の経過とともに、浦島太郎は竜宮城で長い時間を過ごしたあと、玉手箱の煙を浴びて爺さんになった、と間違って広まったのだ。

 ちなみに玉手箱の中身は借用書で溢れ返っていたという。玉手箱には踏み倒された金貸しの呪いが籠もっており、開けるとよくないことが起こるといわれ、それきり箱は封印され、浦島家の蔵に眠っていた。

 そんな浦島太郎の子孫に、浦島玉太郎という若者がいた。

 玉太郎もまた出来の悪い男だった。どうにか入った高校を早々に中退し、家を飛び出すと、日雇いで日銭を稼ぎ、無理を言って友人宅を何年も渡り歩いた。

 やがて、その友人たちから疎まれると、ようやくアパート暮らしを始めたわけだが、これまでと違い、家賃と光熱費がかかる。どうにも金に困っていた。

 そこでふと思いつく。

 浦島家の敷地には蔵がある。その蔵には、かつて浦島太郎が竜宮城から持ち帰ったとされる玉手箱が保管されている。

 あれは金になるかもしれない。

 数年ぶりに実家の敷地に足を踏み入れた玉太郎は、こそこそと蔵に入る。

 そこで玉手箱をみつけると小脇に抱えて蔵を出た。

 と、そこにたまたま玉太郎の父が通りかかる。

「玉太郎、帰ってきたのか」

「あ」

 あわてて玉手箱を背中に隠そうとするが間に合わない。そうなると、奥の手だ。玉太郎は玉手箱の蓋に手をかけた。

「玉手箱をどうするつもりだ? おい何してる? 待て。開けるな」

「親父。玉手箱を俺にゆずってくれ」

「なんだって。おまえも玉手箱の呪いのことは知っておるだろう?」

「もちろん」

 玉手箱には呪いがかかっている。代々語り継がれてきたことだ。

「どんなことがあっても開けてはならんのだぞ」

「わかってる。約束する」

「ならば持って行け」

「サンキュー。親父」

「おう」

 ホッとしたように父が息を吐く。父にしてみれば、なくていい代物だった。

 こうして玉太郎は、玉手箱を手に入れると、さっそく古物買取専門店に急ぐ。

「十円ぐらいですかね」

 メガネをかけた店員が金額を提示する。

「は? いいか、これは浦島太郎が竜宮城から持ち帰った伝説の玉手箱だぞ。俺は子孫の浦島玉太郎。間違いなく本物なわけ。十円ってことあるか」

「そう言われましても。ちなみに中には何が入ってますか」

 店員はさっきから箱を開けようとするが、どういうわけか開かない。

「中は空だ。浦島太郎が開けたからな。煙が入ってたって話だぜ」

 さすがに借用書が入っていたとは言い出せない。

「やはり十円ですね。こういった代物はご家族で大切に飾っておかれたほうがよろしいかと」

「もういい」

 玉太郎は店を出ると、近くの公園のベンチに座った。

 玉手箱に目を落とす。木でできた箱はかなり朽ちている。

 両手に持って振ってみるが音はしない。

 しかし、なぜ開かない? 玉太郎が蓋に手をかける。

 するとどうだ。すぽんと蓋がはずれ、中から煙がモクモクと立ち昇った。

 わ、なんだ。

 煙が玉太郎の顔を包み込む。煙というより水蒸気のような感触だった。

 玉太郎は思わず顔を撫でる。

 その瞬間、顔の皮がずるりと動いた。

 何か恐ろしいことが起こった気がして、玉太郎は公園のトイレに駆けこむ。

 洗面台に鏡があった。その鏡に映し出された自分の顔を見て息が止まる。

 顔全体がしわくちゃになっていた。

 とても二十代には見えない。信じられないことに一気に歳を取って見えた。しかし体のほうは変わっていない。シャキッと立てるし、走ることだってできる。顔だけが爺さんみたいになっているのだ。

 蛇口をひねり、頭から水を被る。

 夢なら醒めてくれ。

 顔を上げ、もう一度鏡を見る。

 変わってない。

 顔についた水滴を拭う。そのとたん鼻が曲がった。

 頬をつねる。すると餅のように伸びた。

 まさか?

 玉太郎は慎重に眉の位置を整える。

 凛々しい眉ができた。

 つぎに鼻を高くした。

 最後に皺の寄った肌を伸ばすと見まがうほどのイケメンができあがった。

 なぜこんなことに?

 思い当たるのは玉手箱の煙。

 もしかして浦島太郎が竜宮城に行ったという話は真実だった?

 ほんの少し玉太郎は考えた。が、玉太郎にとってはどうでもよかった。そんなことより顔を変えられるのならこれを使って何かできないか。そう考えた。

 さっそく玉太郎は繁華街に抜ける通りに向かう。

 通称ナンパ通りとも呼ばれ、道行く女に声をかける男が多い。

 これまで玉太郎は箸にも棒にも掛からなかったが、この顔ならいけるかもしれない。

 ナンパ通りに着く。正午を少し回ったところだ。

 そこに好みの女が通りかかる。

「おねえさん、ひとり? よかったら俺とメシ行かない?」

 はじめて会う男からいきなり食事に誘われ、女は迷惑そうに足を速める。

「わたし、これから彼氏と会う約束してるの」

 女は玉太郎を睨みつける。

「そんなやつ放って俺とつきあえよ。俺のほうがイケメンだろ」

 女の前に顔を突き出し、玉太郎はイケメンぶりをアピールする。

「おい! 俺の女に何してんだ」

 低い声がして、胸ぐらを掴まれた。目つきの鋭い男が玉太郎の整った顔に唾を飛ばす。

 ヤバそうな男に玉太郎は青ざめる。

「あ、いや、誤解っス。彼女がひとりで歩いてたから。その、危ないですよって声を掛けてたんス」

 身の危険を感じた玉太郎は思いつくままウソをつく。

「おまえ、さっき自分のことイケメンだって自慢してたろ」

「それも誤解っス。俺はイケメンじゃない。これを見てください」

 玉太郎が顔をさする。すると眉毛の位置が下がり、目は垂れ、唇はへの字に変形した。

「どうなってんだ?」

 男が玉太郎の顔をいじくり回す。

「俺はいくらでも顔を変えられるだけっス。ですからご勘弁を」

「気に入った。その顔を使って、俺と儲かる仕事をしよう」

「どんな仕事っスか」

 玉太郎が訊ねると男はここじゃ話せない。場所と時間はまたあと連絡すると言う。

 怪しげな話だったが、玉太郎は金がほしかった。名も知らぬ男に連絡先を伝えた。

 翌朝。玉太郎は男の指定した場所に向かった。

 理由は教えてもらえなかったが、くせのある顔で来いと言われ、大きな団子鼻に細い目、頬をたるませ、一度見たら忘れられないような顔にして行った。

 道行く人が思わず振り返るぐらい不細工な顔だ。こんな目立つ顔でいったいどんな仕事をしようというのか。

 指定された場所は市内外れの銀行の前だった。

 すでに男は来ており、目深に帽子を被り、背を曲げ、落とし物でもしたかのように下を向いている。

「おはよっス」

 男のそばに駆け寄ると小声で挨拶をした。

「ぜんぜん誰かわかんねえ。玉太郎だよな?」

 用心深く男が確認する。

「顔はこんな感じでいいっスか。なんなら手直しもできますけど」

「いや、インパクトがあっていい」

 男は満足げに頷くと、「それじゃ、これつけろ」と皮の手袋を渡した。「顔は変えられても指紋は変えられない。証拠を残したらまずいからな」

 男は不敵な笑みを浮かべると、銀行の入り口に目をやった。

 どうやら銀行で仕事をするようだ。ここで考えられる答えはひとつ。

 銀行強盗!

「もうわかっただろ」男はニヤニヤしている。人通りが少ない穴場ともいえる銀行だ。「カバンに金を詰めてもらえ」

「ひとりで?」

 玉太郎は納得がいかない。

「心配するな。俺に考えがある。まず先に客のフリをして俺が入る。おまえは少し経ってから入ってこい。そして、店内の防犯カメラにしっかり顔を映したあと、包丁を取り出せ。そして、たまたま居合わせた客として俺を人質に取り、カバンに金を詰めるように行員を脅せ。カバンはこれだ。その中に包丁も入っている」

 男が使い古した旅行カバンを手渡す。それほど大きなカバンではない。脇に抱えて走れるサイズだ。

「逃走用の車は銀行の裏に停めてある。おまえは俺を人質にしたまま外に出たら車まで走れ。走りながら顔を変えればおまえはもう別人だ。警察は防犯カメラに映った顔を追って探し回るだろう。たとえ全国に指名手配されようとどこにもそんな顔のやつはいねえ。つまり犯人はこの世界から消えたってわけ」

「なるほど」

 玉太郎は男の話に乗ることにした。

 男が銀行に入り、しばらくして玉太郎も入る。計画通り、男を人質にして行員に向かってカバンを投げた。

「これに金を詰めろ。さもないとこいつの命はないぞ」

「た、たすけてくれ~。行員さん、こいつのいうことを聞いてお金を渡してください」

 二人して棒読み口調の演技をする。だがそれを知らない行員はあわてる。

「お、落ち着いてください。今からお金を準備しますから」

「早くしろ」

 玉太郎が荒っぽい声を急かす。

 二人の演技を信じる行員がカバンに札束を詰める。

 こうして男の筋書き通り、うまくいった。うまく行き過ぎて怖いぐらいだ。

 玉太郎の運転で、二人は男の暮らす古いアパートに着いた。

 玄関の扉を開けると、汚れたシューズや革靴が転がっている。短い廊下の先の部屋には弁当殻や酒瓶が散らかっていたが、かまわず玉太郎は部屋に入った。

 早く金がほしい。

「これだけあればとうぶん遊んで暮らせる」

 男がカバンを広げると、札束がぎっしり詰まっていた。

「もちろん山分けっスよね?」

 作戦が成功したのは自分のおかげだと玉太郎は自負している。それだけに独り占めしそうな男の気配に気が気でない。

「ほら。これがおまえのバイト代だ」

 男がカバンから札束をつかみ出した。束は三つ。つまり三百万だ。だがカバンの中にはその何倍もの札束が入っている。

「いやいや、もっとくださいよ。せめて半分、いや、それ以上くれてもいいはずだ」

 玉太郎が男に詰め寄る。

「バカ野郎。この計画は俺が考えたんだ。おまえはそれに乗っかっただけ。それでも多いぐらいだ。つべこべ言わずにとっとと帰れ。俺はこの金で今夜から豪遊だ。ガハハハ」

 嬉々としてカバンを覗き込む男の姿に、玉太郎は怒りを爆発させた。

 転がっていた酒瓶をつかむと男の後頭部を殴打した。

 んがっ。男は短く声をあげ、突っ伏した。

 みるみる床に血が広がっていく。

 ああ、やってしまった。しかし金のためだ。

 行員に見られたカバンを持ち歩くのは危険だと思い、玉太郎はカバンに入った札束を部屋にあった木製の箱に詰め直すことにした。

 箱は茶色く朽ちたところがあり、ずいぶん古い。

 どこかで見たことがあるような……。

 そう。あの玉手箱にそっくり、というよりそのものだった。

 なぜ玉手箱が男の部屋にあるのか。不思議に思ったが、とにかくここから金を持ち出したい。

 すべての札束を玉手箱に詰め込んだ。

 男の車を使って玉手箱を自分の家に運ぶと、玉太郎はふたたび男の車を走らせる。証拠隠滅のためだ。数キロ離れた空き地で乗り捨てた。そこからバスと徒歩で戻る途中、何度か顔を変えた。いつどこでカメラに映っているかわからない。用心に越したことはない。

 そうして無事に家に帰ると、部屋の真ん中に玉手箱を置き、玉太郎はひとり祝杯をあげる。

 さて、札束を拝むとするか。

 おもむろに蓋に手をかける。

 ん?

 蓋はなかなか開かない。

 玉太郎が、ぐっと力を入れた。その瞬間、パカッと蓋がはずれ、モクモクと煙が立ち昇る。

 ゴホゴホ。なんだこの煙は。これじゃ何も見えない。

 まさか金が燃えたのか。箱の中を漁ってみる。

 感触がない。

 部屋には煙が充満している。

 玉太郎は手探りで窓を開けた。部屋の中に風が起こり、煙は空高く昇っていった。

 いったいなんだったんだ。まあいい。金だ。金だ。

 よろよろと玉太郎は玉手箱に近づく。

 え?

 玉太郎は箱の中を覗き込み、たまげた。

 札束はどこへやら。箱の中には紙切れが一枚、入っているだけだった。

 どういうことだ?

 紙切れを広げてみる。

『完済』と書かれてあった。

 こ、これが、過去に浦島太郎が踏み倒した金貸しの呪いか。

 驚きのあまり玉太郎の顔はまるで老人のようにしわくちゃに歪んでいた。

 そして、その顔はもういくら触っても変わることはなかったのであった。