岡山県に、穂村賢一(ほむらけんいち)という金持ちの経営者が住んでいた。賢一には美園(みその)という一人娘がいた。美園は、とても賢く、美人だった。賢一は、美園を芸事の修業のため、京都に送り出した。芸事の教育を受けたあと、美園は父の一族の知人に嫁いだ。美園と夫には、一人の男の子が生まれた。しかし、美園は結婚六年後に、病気になり死んでしまった。
その葬儀のあった夜、美園の幼い息子が言った。
「お母さん、帰ってきた。二階のお部屋にいるよ。でも、話してくれないの。僕、怖くなって、逃げてきたの」
夫が美園の二階の部屋に行ってみると、その部屋にある位牌の前に点された小さい灯明の光で、死んだ美園の姿が見えた。美園は箪笥の前に立っている。その箪笥には、まだ美園の飾り道具や衣類が入っていたのである。美園の頭と肩とはハッキリと見えたが、腰から下は、姿がだんだん薄くなって見えなくなっている。それは、美園のはっきりしない反影のようにも見えたし、水面における影のように透き通っても見えた。
人々は恐れおののき、美園の部屋を出て、一階で集まって相談をした。
「女性は自分の持ち物が好きなものだが、美園も自分の持ち物に執着していた。たぶん、それを見に戻ってきたのだろう。死んだ人で、そんなことをする者もいると聞いたことがある。美園の持ち物をお寺へ納めれば、たぶん魂も安心するんじゃないか」
できる限り早く、お寺に美園の持ち物を納めようということになり、翌朝、箪笥の中を空にして、美園の飾り道具や衣類などは、みんな寺に運ばれた。また、解約したスマホやパソコンなども含めて、部屋に残っていたすべてのものが納められた。しかし、美園は、その夜も帰ってきて、昨夜の通り、箪笥を見ていた。それからも、美園は毎晩帰ってきた。この家は、幽霊屋敷となってしまった。
美園の夫の母は、檀寺に行き、住職に事の一部始終を話した上で、幽霊の件について、相談した。
その寺は禅寺で、住職は夢幻(むげん)和尚として知られる学識のある老人だった。
「その箪笥の中か、その近くに、なにか美園さんの気にかかるものがあるに違いない」
「それでも、私たちは箪笥を空にしましたので、中にはもうなにも入っておりません」
「わかりました。では、今夜、私がお宅へ伺い、その部屋で見張りをして、どうしたらいいか考えてみます。どうか、私がみなさんを呼ぶとき以外は、誰も美園さんの部屋に入らないように言っておいてください」
「承知いたしました。言っておきます。では、今晩、よろしくお願いします」
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