小説

『箱』平大典(『浦島太郎』)

「何が不満というのだ、ヒラメ」
 亀はのんびりとした様子で告げてきた。
 竜宮城の城壁外。午後の水中には、柔い光が差し込み、ほかの生き物の気配はない。
「あんたが連れてきた地上人だ」
 俺は、気弱な亀を睨みつける。
「浦島太郎さんのことですかい?」
「ああそうだ。人間のくせにでかい顔しやがって」
「仕方ないでしょう。乙姫様もあの御仁のことを大層気に入っていらしゃる」
「それだ」俺は声を張る。「それこそ問題なのだ」
 亀が納得したように頷き、口から泡を漏らした。
「ヒラメ、あんた、浦島さんが乙姫様の寵愛を受けていることに嫉妬しているのかい」
「嫉妬などではない。乙姫様の御身を慮っているのだ! 地上の人間など腹の中に何を隠しておることやら」
 亀にも原因はある。地上の浜辺にのこのこと出て行って、地上の小童どもにひっくり返され、通りすがりの浦島に助けられたという。
 お礼がしたいと言って、よその奴、しかも人間をこの格式高い竜宮城まで連れてくるとは何事か。
 俺からすれば、地上の人間などすべて等価だ。人間にいじめられて、別の人間に助けられただけ。プラマイゼロで、礼をしてやる義理などない。
 そもそもだ。道すがら助けただけの話。亀からの礼の申し出を断らぬところなど、卑しいったらありゃしない。きっと最初からその小童どもとグルであったに相違ない。
「いやあ、浦島さんはいいお方だ。だから、乙姫様も気に入っておる。お前さんが乙姫様のお気に入りで不満があるのはわかるが、自重しなされ。浦島さんだっていずれは地上へ帰るのだからな」
 のんきなものだ。
「あの姑息な小僧が、帰るものかよ。ここでの暮らしは、地上では味わえぬ愉悦で満たされている」
「落ち着け、ヒラメ」亀はなだめてくる。「浦島さんの前でもその態度では、乙姫様の怒りを買うぞ」

 
 これほどの屈辱があろうか。
 憎き相手のために、ダンシングさせられるなど。
 俺は舞っていた。カレイや昆布などと一緒に。
 派手なライトで彩られたステージの向かいでは、浦島太郎と乙姫様が隣同士に座り、我々のダンシングを観覧している。
 たまに二人は目を合わせ、くすくすとほほ笑んでいる。
 ラブラブじゃねえか。
 不快である。
 おのれ、浦島。今に見ておれ。

 
 その日の夜、怒りが冷めやらぬ俺は竜宮城近くの海孔へ向かい、漆黒で静寂で満たされた深海を進んでいた。
 赤色のマグマで熱流が渦巻いている場所までくると、目的地が見えてきた。

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