小説

『箱』平大典(『浦島太郎』)

「入っているのではござませんよ」

 
 俺は自室へ戻ると、悶々としていた。
 乙姫様のうっとりとした表情が忘れられない。
 今頃、浦島は俺が用意した魔女の玉手箱を開けたであろうか。
 みすぼらしい老人となったのか。まあ、よい。乙姫様が正しければ、じじいになったとて、悲しむものもおるまい。
 問題は、目の前の玉手箱だ。
 乙姫様が用意したもの。
 俺はその玉手箱に手を触れる。
 何が入っている。
 乙姫様のものになる。
 うずうずと湧き出る好奇心を抑えられない。
 蓋に手をかけて、一気に。
 そこで意識を失った。

 
「……なんと、おそろしいことを……」
 誰かの声で、目を覚ますと、俺は真っ暗な場所にいた。
 狭い場所だ。
「おい、ここは」
「ヒラメ」声の主は、亀だった。「生きておるのか」
「なにがどうなって」
 亀の声は震えている。「お前さん、玉手箱を開けてしまったのだな」
「なにを」
「ヒラメ、箱を入れ替えおったな。浦島を回収するために、地上へ行けば、老人になっておった。空いた箱には、魔女の匂いが残っておった。もしやと思い戻ってくれば……」
「どういう」
「この玉手箱は、開けた人間の魂を封印できるのだ」
 つまり、乙姫様はこの箱に、浦島の魂を封印するつもりだった。それで永遠に乙姫様は、浦島を手に入れる算段だった。
 しまった。
「くそ、くそ」
「こうなれば、仕方あるまい」
「出せ! ここからすぐに」
「無理を言うでない。この箱にかけられた呪法は、海彦神の血を使ったもので、かなり強力なものである。この近辺で一番法力がある海底の魔女でさえ到底解くことができぬ」
「そ、そんな」
 言葉が出ない。
「とはいえ、乙姫様からすれば、私もしくじったことになる。お前さんも同罪だ。浦島を老人にしたなどと言えば、その身は滅ぼされるであろう」亀は小さく咳をした。「そこで提案だ」

 
 亀からの提案を、俺は承諾した。
 俺はまだ箱の中だ。
 狭く、暗く、自由はない。
 この状況、俺は不幸なのか。
 そうでもない。
 箱の上には、乙姫様の白い手が置かれている。乙姫様は四六時中寝るときでさえ、肌身離さない。
 俺は貝のように押し黙って、浦島のふりをしている。亀は俺が真実を打ち明けるのではないかと不安がっているが。
 心配はない。
 私は永遠に乙姫様の隣にいる。
 まあ、保証はない。
 万が一。
 竜宮城に乙姫様にとって、浦島以上の存在が現れたら。
 単純な話だ。
 俺は文字通りお払い箱だ。

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