小説

『ロマネスク前夜』ノリ・ケンゾウ(『ロマネスク』太宰治)

 芸術的な作品を後世に残したい。たとえ自らが死しても、作品だけは生き続けるような、そんな、ロマンスに溢れた作品を書きたいとオサムは思う。それが一体どんな作品なのかは、まだ分からない。オサムは長く生きるつもりがないから、悠長に構えていたら一作も傑作を残せずに死んでしまう。そんなのは嫌だった。しかしどうにもこうにも、次の作品を書くアイデアが湧き出てこない。どうやったら傑作を書くに足るようなアイデアが自分から出てくるのか、三日三晩、一週間、一カ月、一年、と長い月日が経ったがてんで浮かんでこない。この間、一行もオサムは小説を書かなかった。これではいけないなと思う。しかし思っているだけで、行動に移すことができない。はあ、どうしたらいいのか。このまま死んでしまおうか。小説を書くことができない自分など、生きている価値がない。オサムは悩んだ。悩んで、悩んでいるうちに、自分は何に悩んでいるのだろう、と疑念を抱きはじめる。こんなに悩んで何も出てこないんだったら、わざわざ自分が小説を書く必要はあるのか。それに悩んでいると言いつつも、オサムがこの一年でやっていたことは、ユーチューブを見たり、海外サッカーの動画を見たり、公園でパントマイムをしている人をぼんやりと眺めたり、ときには飲食店でアルバイトをして、金を稼いで、またアルバイトをして、金を稼いで、とかそんなことばかりで、意外と自分はこの現代社会の中で生きていけるのではないかとオサムは思い初めている。全然いけるじゃん、と思っていた。それに、散々苦しんで小説を書いたって、誰も読んでないし、つまらないとか言われるし。なんならアルバイト先では、店長からそろそろ社員にならないか、エリアマネージャーに推薦するよ、なんて言われて、オサムはその気になる。いい話だと思う。普通に働いて、ユーチューブ見て、サッカーの動画を見て、それでいいや。長生きだってしたいし。そもそも若い間に死にたいとか、全然本意じゃない。でもほんとに社員になっちゃったら、もう小説は、書けないかもな……
「いやいやいや、だめでしょ、だめでしょ」
「だめですか」
 だめだめだめ、絶対だめ、と言ったのは、担当編集の芥川である。オサムは三年前、出版社の公募する新人文学賞を受賞していたのである。
「なんでだめなんですか」
「そりゃあ、安定した生活なんてしてたら、オサム君の持ち味がでないでしょ」
「持ち味うんぬんの前に、もう書かなくていいかなって感じなんです。飲食の仕事も楽しくなってきたし」
「飲食って、なんの店」
「イタリアンです」
「イタリアンか。イタリアンはいいね、いいよ。でもオサム君はやめとこ」
「いやですよ。それにね、知ってます? 僕のデビュー作がめちゃめちゃ酷評されてたの」
「あーあれはさ、なんていうんだろ。ちょっと先を行き過ぎてたんじゃない?」

1 2 3 4 5