勝ったのか負けたのか、よくわからない戦争がおわった。
未知果はひとり歩いて国境をわたり、雪の降る港町にたどり着いた。点在する商店はどれも唐突に営業を放棄した姿で朽ちていて、今は真新しい雪が通り全体を覆っていた。
漁港に人影はまったくなく、バタークリームを塗りこめたような奇妙な空は白夜みたいで、灯台にたたずむ海鳥は声を忘れて絵画のようにそこに在るだけ。演者をなくした舞台のような静寂の町に、未知果が雪を踏む足音だけがきこえて、その歩みだけがこの世界で許されているかのようだった。
まだ戦争がはじまる前、未知果は家の近所にあった古書店で過ごす時間が好きだった。「風薫る頃」という一風変わった屋号のその店には、寂れきった外観に似合わず、若い女性の、未知果が姉のように慕う店主がいた。
彼女の名は薫さんといった。
まだこどもだった自分に大人と同じように接してくれることが嬉しくて、その場にいて、そこに流れる時間を感じるだけで、自分が社交界(それがどういうもので現存するのかも知らないけれど)にデビューしたかのような高揚感があった。とはいえそこは古書店なので、いつも積極的に話ができるわけではなかった。たまに話せた日には、不意に花束を受け取ったような喜びがあった。
けふはえびのように悲しい。
古書店の窓には、今日の言葉を書いたホワイトボードがぶら下がっていた。今日の、といっても、そこは薫さんの気まぐれで、三日ほどそのままだったり、半日で書きかえられることだってあった。
けふはえびのように悲しい。なんだろうこれは。その言葉に出合ったとき、未知果は心の触角が震えたことを憶えている。
その日の店内には、安易な時間は許さないというような覚悟の静寂があって、薫さんの立つカウンターには、戦争のはじまりを告げる回覧板があった。
大好きな時間。大好きな人。しっとりとした静けさ。大人のぬくもり。戦争は、たいせつなものから奪ってゆく。古書店の主である薫さんが兵役に就き、帰らぬ人になったという状況は今でも信じることができず、理解する糸口も、そんな糸があることも、未知果にはわからなかった。
雪の降る国が、雪の降らない場所を求めて戦ったという話の一方で、雪の降らない国が雪を求めて戦ったという話もあった。
もし自分が命をかけるとすればどちら側に味方をするか、そんなことを薫さんに聞いたことがあった。どちら側にも誰かの土地を奪う権利などないし、そもそもこの世界に自分の土地なんてものがあるはずがない。雪を奪いあうような戦争に一体どんな意味があるのかと、薫さんは丁寧に磨いた本を書棚に収めながら、静かに熱く話をしてくれた。