そのあとは照れたように柴犬の話をした。薫さんは柴犬のおしりが好きだと笑っていた。飽きもせずに自分の尻尾を追いかけ続ける若い柴犬も、尻尾を垂らした老犬の、虚空をみつめるような排泄の時間も愛おしいのだと。
その頃の私は両親や先生から将来の進路を考えるように言われていたので、どうすれば柴犬になれるだろうかと、よく薫さんに相談をしては困らせていた。
戦争中によく見た夢がある。
私は柴犬で、仲間たちと草原を駆け回っている。ふと声がして振り返ると、草原は一瞬にして雪に覆われていて、仲間の姿がない。途方に暮れて雪の上に寝そべると、身体がみるみる沈んで地球の反対側に抜け落ちそうになる。長くぽっかりとあいた穴の両端から見上げる空は真っ青で、それはやがて満天の星空に変わってゆく。つめたかった雪が私を包むあたたかいトンネルになって、その先で待つ誰かの元へ、柴犬の私は懸命に走ってゆく。もうすぐ逢える。すぐそこだ。その安堵感で眼が覚めるのに、キューンと泣きたくなってしまう。そんな夢だった。
未知果の立つ漁港の駐車場は雪原のように茫洋として、夢の続きを見るようだった。
そのとき、海でイルカが鳴いたような声がした。夢の中で聞いたあの声だった。それは金属の擦れ合うような音にも聞こえて、絵画だった海鳥たちが急に役割を思い出したように飛び去ってゆく。
未知果は声のする方へと向かった。沖合の空はバター色が少し薄れて、日が暮れるようにも、夜明けが近いようにも思えた。
岸壁に繋がる漁協のセリ場は潮風が抜けて、錆びたコンベアーと乾いた水槽が寂しげに残されている。散在する木箱には風で運ばれた枯れ葉が堆積して、かつての活気をすべて吸い取ったかのようだ。
堤防には小さな漁船が数隻あって、おそらく戦争がはじまったころに置き捨てられたものが、木立に散り残る葉っぱのようにくすんで波に揺れていた。
ふと懐かしい匂いがして、また声を聞いた。
「誰」
未知果の眼に映ったのは、小船の先に浮かぶ、異様に黒光りした一隻の潜水艦だった。
ハッチが開いたまま、波に揺れて軋むのが声の正体のようだった。
未知果は雪の積もった堤防へと駆け出した。足を滑らせ、雪にまみれながらその突端に浮かぶ潜水艦を目指した。
いつからここに停泊しているのか、そばで見る潜水艦は小さな島のような存在感があり、ひどく錆びついた姿は瀕死のクジラのようでもあった。誰かが脱出のために使用した簡易の桟橋が堤防に繋がれている。未知果は這うようにしてその桟橋を渡り、甲板に立った。鳴いて私を呼んだのはこのクジラだった。どうにか助けてあげたいけれど、未知果には錆びたハッチを閉めることすらできそうにない。
甲板から見渡す海は藍色で、綿毛のような雪が、音もなく海に吸いこまれてゆく。