なんだったかしらこの鐘の音……繰り返すリズム、懐かしいような気もするし、音楽みたいにも聞こえるし……じりじりと肌を焦がす八月の強烈な日差しの中、布美子はどこか別の世界にいた。
そこは、多摩川線と交わろうと大きくカーブする池上線の踏切の前だったが、布美子に踏切は目に入らず、光の満ちた視界に焦点の合ってない風景が広がっているだけだった。
七十なかばにしては皺の少ない頬から汗が吹き出て、アップでまとめた白髪から伸びるうなじを伝わって縒れたTシャツの襟に吸い込まれていく。
眩しい光の向こう側で夫が手を振って呼んでいるような気がした。でも夫のほうに行こうとしても腹に当たる長い棒が邪魔をして行けない。
そうしているうちに、布美子の前をどこからともなく轟音と強風が襲った。額の汗がさっと吹き飛ぶ。
風は思ったより強く布美子の体をよろけさせた。
その腕をガシッと女の手がつかんで受け止めた。
「痛いっ!」
「何やってるのこんなところで!」
厳しく叱る声が背後から飛んできて布美子は思わず振り返った。
中年の女がこわい形相で立っていた。すぐにそれが自分の娘だとわかって、布美子は我に返った。
「あら、千秋じゃないの」
「千秋じゃないのじゃないわよ母さん! 何回呼んだと思ってんの」
「どうしてここに?」
「あたしが聞きたいわよ。どこに行こうとしてたの」
「どこって……あら、どうだったかしら」
千秋はあきれたように布美子の二の腕を引っ張った。
「さ、帰るわよ」
「そうだった。買い物だった」
「買い物ならもうしたから。刺し身安かったから。あと、そうめん。それでいいでしょ?」
「ああ……そうね」
おそらく父のことを考えてぼんやりしていたんだろう。千秋は布美子の手提げ袋をむしり取り、ぐいぐいと手を引いて歩いた。
まったく、危なっかしくて目を離せやしない。ご近所に母がふらふらとどこかに出かけたと聞いて探していなければ、今頃はもっと遠くに行っていたんじゃないだろうか。鎖でもつけて柱に縛っておこうかしら。いや、そんなことしたら老人虐待で逮捕か。なんて……。
「何をお前ぶつぶつ言ってるの」
「いいの。関係ないから!」
千秋は思ったことをつい口に出してしまういつもの自分の癖に舌打ちした。
父、昭一郎の葬儀が終わって一週間がたつ。