二十歳の誕生日はよく覚えている。僕が初めてセックスした日だからだ。
その日は言われた通りに現場に向かい、都営大江戸線の春日駅を降りたのは午前10時だった。ケータイのマップ機能を使って支持されたアパートを見つけて、玄関の前で待っていた。なんの変哲もない、小奇麗な鼠色のアパートだった。
10時45分。僕が場所を間違ってしまったかと不安になっていると、待ち合わせ時間より15分遅れて、長身の青いスーツの男がやってきた。狐を思わせるような細い目と知性を感じさせる低い声を覚えている。僕らは軽く挨拶をしてその男にカギを開けてもらって中に入った。彼は遅れてきたことを詫びなかった。
部屋はテレビの前にずらりと並べられた統一感のないフィギュアの群れとベッドの上の部屋に似つかない上品な置時計を除けば、ごく普通の東京の1LDKといった感じだった。
彼は部屋に入るとすぐにタバコを吸い始めた。そして僕のことをつま先から頭までぐるっと眺めた。
「ガタイいいね。体育大行ってるの?」彼はタバコをふかしながら聞いた。
「いや、大学は普通の大学です」僕は愛想のよい笑みを浮かべて答えた。今ならば絶対に浮かべない類の笑みだ。
彼は、もう少しで今日の撮影の説明してくれるスタッフ来るから待ってて、と言って二本目のタバコを吸い始めた。煙草は吸わないの? と彼が聞いた。吸いません、と答えた。彼が二本目のタバコを灰皿に押し付けた時、玄関のチャイムが鳴った。
よく高校球児が持っている鞄と同じほどの大きさのショルダーバッグを抱えた背の低い色黒の男と、細身のおじさんが入ってきた。
部屋に入るなり色黒男はてきぱきと何やらを設置し始めた。それらはカメラだった。この部屋はその色黒男の部屋ということだった。細身のおじさんが僕に挨拶をした。僕も愛想を最大限にふりまいて挨拶した。細身のおじさんは監督だった。
監督は僕が大学でよく見るような白と青のボーダーのTシャツにギリシャの民家のように白いチノパンを履いていて、外国の船員のようだった。彼が僕に素早く今回の撮影の趣旨と方法を伝えた。
「今回君には真中正敏という大学生を演じてもらいます」
マナカマサトシ。実に印象に残らない名前だと僕はその時思った。
「で、今回の女優さんなんだけど、立花美里って知ってる?」
知らないと僕は正直に答えた。僕は取り立ててその手の女優に詳しいほうではなかった。
「そうか。まぁ知らないのも無理はないかもな。今回が彼女の復帰作なんだ。まぁ、そこは君の腕に期待するよ。うまく緊張をほぐしてやってくれ。今から約20分後に彼女がこの家を訪ねてくる。この部屋は君の部屋という設定だ。今回君の場面は定点カメラでのみ撮影するから。終わったらすぐに連絡をくれ」