小説

『夢ステーキ』関根一輝(『夢十夜』)

 

 

 こんな夢を見た。

 同僚とカフェに行くと、見知らぬ男が声をかけてきた。どうやらこの男は怒っているらしい。

「ステーキを食べる夢を見たって言ったじゃないですか。お金払ってくださいよ」

「なんですか、急に」

 私は同僚と顔を見合わせた。同僚は首をかしげ、その男性への対応を目で私に促した。

「いや、だから、先ほどあなた言いましたよね。夢で食べたステーキの味が最高だったって。確かに結構良い肉を食べたみたいですね」

 男性は話しながら、手に持っているレシートのような紙を一瞥した。

 混乱した状況にも関わらず、私は夢で食べたステーキの味を思い出し、夢見心地になった。

「ああ、美味しかったな。肉汁が鉄板に弾けて、ミディアムの焼き具合も完璧でさ。極めつけはガーリックのきいた酸味のあるバーベキューソース」

「ほら、やっぱり食べているじゃないですか。お金払ってくださいよ」

「だからそれがわからない」

 男性は、かぶりを振り、言葉を続けた。私は、なぜか大人しく彼の言葉に耳を傾ける。

 彼の主張は要するにこうだ。私が「夢見屋」というお店に、ステーキを食べる夢を見たいと依頼した。ステーキを食べた。お金払え。らしい。代金は五万円ぽっきり。

「五万円ぽっきりって、音はかわいいんですけど、価格設定がおかしいんですよ。実際に食べたわけじゃないんですから」

「実際に食べてないからいいんじゃないですか。夢ならいくら食べてもゼロカロリーですからね」

「そういう問題ですか」

 ウェイトレスが近づいてくる。

 おまたせしました、とテーブルに料理を置く。

 車のかたちをしたランチプレートに、ハンバーグ、スパゲティ、コロッケ、ガーリックライスにトマトが添えてある。ハンバーグには、青白赤の縦縞の国旗が刺さっている。

「私は、スペシャルステーキを頼んだのですが」

「こちらスペシャルステーキですが」

「明らかにお子様ランチじゃないですか」

 ウェイトレスは首をかしげ、キッチンへと消えていく。

 何なんだ、どいつもこいつも。え、ていうかスペシャルステーキなんて注文したっけ?同僚とカフェに来て、注文をする前にこの男が現れたのだ。どうやら私もどうかしている。

 男性は、テーブルの4つある椅子の一つに腰を掛けた。そして、背もたれに身を預け、一息つくと窓の外を眺めた。しばらくカフェに流れる音楽に自分を重ねるように浸り、身体を揺らした。不意に口を開く。

「あなたは夢より現実ですか」

 そんなことより帰ってくれないか。一緒に来た同僚はいつの間にかいなくなってしまった。カフェに不審な男がいると、警察に通報をしてくれたのだろうか。

「夢の価値は現実より低いとお考えですか」

「なんですか急に」

「先ほど、夢でステーキを食べただけなのにおかしいとおっしゃっていたので」

「そりゃあ、そうでしょう」

「なぜです。夢は現実と比べて、どのような点が劣っているんでしょう」

 彼の目尻に皺が寄る。しばらくその目を眺め、彼が笑っていることに気づいた。

「夢でしたら巨万の富を築けます。空を飛ぶこともできます。大発明をして人々の尊敬を集めることもできますし、夢ならステーキをいくら食べても0カロリーです。そして、現実ではもう会えない人にも、夢では会うことができます。夢は現実に劣っていますか。夢って素敵だと思いませんか。素敵、素敵。ステーキ代払ってくださいよ」

「だから、払いませんって」

 私は「夢と現実」について考えてみる。

 夢の世界に生きられるなら、生きてみたい。そこでは全ての制約が取り払われる。空腹になることもないし、好きな人にフラれることもない。仕事でくよくよすることもないし、日中の自分の行いを後悔するような夜を過ごすこともないだろう。

 でも、と思う。

「でも、結局夢は覚めるじゃないですか。幸福な夢は、かえって現実のみじめさを際立たせます」

 向かい合う男性の後方からウェイトレスが近づいてくる。

「なにか御用でしょうか」

「いえ、呼んでないですけど」

「ボタンを押しましたよね。それが呼び鈴なんです」

「押してないです」

「押しましたよ。なぜ押したんです」

 ウェイトレスの高圧的な態度にたじろぐ。私は、私押してないですよね、と男性に目で訴えた。

 男性は口を開く。

「なぜ押したんです」

「押してないじゃないですか。だいたい手を伸ばしても届かないですよ」

 ほら、と私は机の上に置かれた卵のようなかたちをした呼び鈴に手を伸ばす。やはり届かない。

「なぜ押したんです」

「だから、押してないですって」

「なぜ押したんです」

 押してない!

 何が何だかわからず、私は目を落とす。周囲の会話の声が過剰に増幅し、私の頭を覆いつくす。子どもが騒ぎ回り、料理を運ぶワゴンにぶつかる。不自然に大きい衝突音。心配になり、ぶつかった子どもを見る。床に倒れ込み、動かない。

 どうしよう、と向かいに座る男性を見る。男性の首は不自然に曲がり、頭からは血が流れていた。

 男性は、無表情のまま、震える口を動かした。

「なぜ押したんですか」

 私は悲鳴をあげるが、それは私とは違うどこからか聞こえた悲鳴のようであった。

 押してない、押してない、押してない。

 徐々に私はこの夢の意味を理解し始めた。

 ああ、そうだ。

 私は押した。



 無機質な天井と、ベッドの横に立つ白衣の男性。

 私の頭に繋がれたとげとげの機械。

 子どもの頃にイメージした人体実験の様子をそのまま具現化したような光景。

「素敵な夢をご覧いただけましたか」

「素敵もなにも、ステーキでしたよ」

「最近の記憶の影響を多少受けますからね」

 白衣の男性は、手元の機械を操作し、確信を持った目を私に向けた。沈黙することで、私が話し出すのを促している。

「横断歩道で彼と信号待ちをしていました。信号が青に変わるのと同時に猛スピードで直進してきた車がありました。私はなぜか、不意に彼を車の方に押してしまいました。理由はわからないんです。悲鳴が聞こえました。血に染まり、ありえない方向に曲がった不自然な体を見た時、彼は死んでしまったと思いました。」

 私はなぜか、死んだであろう彼を置いて、そのまま予約していた洋食屋に行き、ディナーを済ませた。そして、全てその店のトイレで吐いてしまった。

 私は言葉を続ける。

「私が彼を殺しました」

 白衣の男性が手錠を出し、私の骨と皮の手首につなごうとした。手錠を持つ彼の手は震えている。夢という領域を犯すことに彼なりの葛藤があるのだろう。

 夢が、自白の道具として使われ始めて、まだ日は浅い。