小説

『ニット帽の縁繋ぎ』いしもともり(『かさ地蔵』)

 

 

 「栗山さーん、今年のクリスマス会のバザー、何にしますか?」

 ここは介護施設はるかぜ。栗山道子は、週に2回ここでデイサービスを利用している。先の介護職員の優子の質問に答える。

「そうだねぇ。毛糸の帽子でも編もうかねぇ。」

 毎年開催されるクリスマス会では、利用者が手作りの物や不用品を持ち寄ってバザーを催し、その収益を児童養護施設に寄付している。

「毛糸の帽子、いいですねぇ。道子さんがいつも被っている帽子、めちゃ可愛いですよね。

私も欲しいなぁ!あ、でも、クリスマス会までに、編めそうですか?」

「すぐにとりかかれば、5,6個は編めるかねぇ。独り暮らしの年寄りには、たっぷり時間があるからねぇ。」

手製の帽子が可愛いと褒められて、俄然やる気になった道子は、ニコニコしながら答えた。

 はるかぜでは、利用者さん同士でゲームをしたり、体操をしたり、一緒に食事をしたり、独り暮らしの道子にとって、唯一の娯楽だった。


 はるかぜはバス送迎で、10時に迎えが来て、14時に家に送ってもらう。道子は、ゆっくりだが、身の回りのことは一通りできるし、認知もしっかりできた。

 今日も、スタッフさんに玄関まで見送ってもらった後、家には入らず、そのまま近所にあるご先祖様が眠るお墓へ向かう。道子の足でゆっくりと歩き、徒歩6,7分の距離だ。入口に並ぶ六地蔵に手を合わせ、その向こうに居る三体の水子地蔵に手を合わせ、ご先祖様の墓石を参拝してから、家路に着く。朝かデイサービスの後、お参りをするのが、道子の日課だ。


***


 夕飯の片付けが終わり、炬燵に入ってテレビを見ていると家の電話が鳴る。

「よいしょっと…。はい、もしもし、栗山です。」

「お母さん!名字は名乗らなくていいの!詐欺の電話やったらどうするんよ!すぐ付け込まれるよ!…あ、そうそう、みかん、届いたよ!いつもありがとうね。」


 電話の主は、娘の明美だった。相変わらず、圧が強い。そんなにまくしたてるように言わなくてもいいのに…。

「もう届いたんやね。今年は、新しい品種の美味しいみかんを送ったんよ。」

「うん。こっちでも有名よ。東京やとデパートで1個500円くらいしてるんよ。ありがとうね。ところで、最近変わりない?体は大丈夫なん?独り暮らしで何かあってからでは遅いんよ?」

「うん。大丈夫よ。変わりないよ。…あぁ、今、ちょうどお湯が沸いたけん、電話切るよ。

 ほいじゃぁね。」

お湯など沸いていなかったが、そそくさと電話を切る。


 最近、明美は『東京で一緒に暮らそう』としきりに提案してきた。年老いた道子の独り暮らしを心配してのことだった。とてもありがたい話だが、生まれ育ったこの街を離れることにも、この年になって都会に移り住むことにも、かなりの抵抗感があり、その話題になることを避けていた。施設入居も、東京への転居も選択肢の一つとして、いずれは考えねばなるまい。できるだけ、子どもに負担はかけず、ぽっくりと逝きたいものだが、いつどこでどうなるかわからないのが人の生死の理だ。子どもに負担をかける「何か」があってからでは遅いとも承知していた。


***


 クリスマス会までに、道子は、オレンジ色の大・小二つずつ、赤色と青色の小一つずつ、合計六つのバザー用の帽子を編み上げた。それを一つ一つ丁寧にラッピングして、バザーコーナーに持ち込んだ。

 イベントが始まると、道子たちはホールに集まり、スタッフの出し物や、保育園児による歌や劇、ゲームなどを楽しんだ。イベントを終えて、バザーコーナーへ戻ると、赤と青の小さなニット帽が二つ、売れ残っていた。

 優子が会場を片付けながら道子に話す。

「残念…。私、毛糸の帽子、狙ってたのになぁ。」


「そう言うと思って…。」

バッグから包装紙に包んだ緑色のニット帽を取り出し、こっそり優子に手渡す。

「他の皆さんには、内緒よ。私からクリスマスプレゼント♪」

「え?うわっ!ポンポン付きだ!めちゃ可愛い!ありがとうございます!」

小声で優子が言う。優子用に編んだ帽子には、少し凝ったデザインが施してあった。

「年末に友達と、スキーに行くんです!被って行きますね!めちゃ嬉しい!」

他の人の目に触れないように包みに戻しながら、何度も礼を言うと、足早にロッカールームに消えていった。

 帰り際、優子がこっそりバザーの売り上げ(献金箱)にお金を入れているのを見た。帽子代を入れていたのだろう。律儀で、人が気付かないような細やかな気配りや優しさがある、優子のそういうところが、私は好きだ。

 売れ残った赤と青の小さなニット帽をバッグに戻し、家路に着いた。いつものようにスタッフさんと別れた後、墓地に向かう。


 今日は『今季一番の寒さ』と朝のニュースで言っていたことを思い出す。この温暖な地域でさえも、今日は、空が濃い灰色の雲で覆われ、今にも雪が降りそうだ。道子は六地蔵に手を合わせ、水子地蔵に向かう。六地蔵は、赤いほっかむりをしていたが、水子地蔵は何も身につけていない。

「お地蔵様、寒かろうに。」

道子は、バッグに小さなニット帽があることを思い出す。

「そうじゃぁ、お地蔵様、この毛糸の帽子を被りなさらんか?」

小さなお地蔵様に、赤と青のニット帽を被せた。

「一つ、足りませんな…。」

「そうじゃぁ。お地蔵様、使い古しで申し訳ないですが、私の帽子を被ってください。」

そう言うと、道子は自分が被っていた、お地蔵様には幾分大きい紫色のニット帽を被せた。

「これでええ、これでええ。三人お揃いの帽子で可愛らしい。」

ご先祖様の墓参りが済む頃には、雪がチラつき始め、道子は家路を急いだ。


 その日は、夕方から空は漆黒に染まり、雪混じりの強風が吹きつけ、大荒れの天気となった。古い家屋は、風できしみ、ガラス戸がガタガタと音をたて、時折ゴーっと怪物が唸る様な不気味な音も聞こえる。外で何かが風に飛ばされガシャンと音を立てた。道子は炬燵に入り、テレビで気を紛らわせるも、家が壊れないかとビクビクしていた。

 ふと、風の切れ間に、玄関で規則正しい音が鳴っていることに気付いた。最初は風の音だろうと思っていたが、『コンコンコン』と戸をノックするような音が明確に聞こえる。『こんな日に誰か尋ねてくるわけもなかろうに…。』不審に思いながらも、玄関に向かう。やはり、『コンコンコン』とノックする音が聞こえる。

「はい…、どちら様でしょうか…。」

恐る恐る声をかけるが、返事はない。

「あの…。何か御用でしょうか?」

かすかに『みっちゃん…。』という声が聞こえる。どこか懐かしい声だ。その声に流され、玄関の鍵を開ける。そこには、赤いニット帽を被ったキヨちゃんと、青いニット帽を被ったテルちゃんと、少しくたびれた紫のニット帽を被ったヨシ兄ちゃんが立っていた。

茫然と立ち尽くす私をよそに、三人が家に入ってくる。

「寒かったねー。みっちゃんたらなかなか開けてくれんのじゃもん。」

「さむかったねぇ。」

「みっちゃん、火鉢もつけてよ。」

三人がこたつに入って、こちらをニコニコしながら見ている。


 キヨちゃんは私の小学校1年生の親友、テルちゃんは3歳の弟、ヨシ兄ちゃんは10歳の兄だった。

「みっちゃん、お腹すいたー。何か食べるものはないん?」

道子は何が起こっているのか、訳がわからないまま、

「な、なんで…?」

「いいのいいの、何でもいいから、ご飯一緒に食べようよ!」

 道子は自分の頭がおかしくなったのか、夢でも見ているのか、確認しようもなく、頭を切り替え、この状況を受け入れることに決めた。

 今日の夕食は、クリスマスに帰ってくる娘と孫が好きだというクリームシチューを練習がてら作っていた。シチューを小さなお皿に四つよそって、炬燵台に持って行く。

「これはなぁに?」

三人が目をキラキラとさせながら、初めて見るシチューをまじまじと見つめる。

「これは、シチューといってね、お野菜を煮て、小麦粉やバターや牛乳で作ったホワイトソースを加えた、とろみのあるスープよ。体が温まるから、食べてみて。」

「へぇ、こんなハイカラなもん、食べたことないな。」

「しろくて、きれいだねぇー。」

「早く食べようよ!いただきます。」


「どうかしら…?」

「うん、不思議な味だけど、とっても美味しい!」

「そう、良かった!…あ、テルちゃん、こぼしそう!」

テルちゃんの横に移動し、フーフーして口に入れてやると、ニコニコしながら、また次の一口を大きな口を開けて待っている。シチューは、あっという間になくなった。


「ねぇね、あそんでぇ。」

とテルちゃん。

 今年の正月に孫が置いて帰ったすごろくゲームがあったことを思い出し、押し入れから出す。テルちゃんも、キヨちゃんも、ヨシ兄ちゃんも、無邪気にすごろくを楽しんだ。道子が三人の笑っている顔を見つめていると、キヨちゃんが驚いた顔でこう言った。

「みっちゃん、なんで泣いとるん?」

道子は言われて初めて頬に涙が伝っていることに気付いた。


「あぁ…、キヨちゃん、テルちゃん、ヨシ兄ちゃん…。ぴかどん怖かったよねぇ。痛かったよねぇ。熱かったよねぇ。私だけ生き残ってごめんねぇ…。」

道子は涙をはらはらと落としながら、何度も謝罪した。


 道子は、原子爆弾が投下された日、奇跡的に生き延びた一人だった。そして、親も兄弟も親友も、ぴかどんに奪われたのだ。あの日から今日まで、自分だけが生き残ったことが辛く、亡くなった家族や親友に申し訳ない気持ちが一杯で、この地を離れることなく、毎日懺悔の気持ちで、お地蔵さまと墓石を参拝していたのだ。


「なに言うとるん。みっちゃんが生き残ってくれて嬉しいに決まっとるやろ。」

「ねぇね、だいすきぃ。」

「ずっと僕たちを忘れず、毎日お参りしてくれて、ありがとう。」


『あぁ、なんて温かい。ふわふわしたいい気持ち。』三人の声が心地良く木霊する。


 いつの間にか、道子も子どもの姿になって、原っぱで鬼ごっこをして遊んでいた。

「みんな、帰って来たんだね。これからは一緒に居られるんだね。」


 でも道子が鬼なのに、三人が一向に捕まらない。


「みっちゃんは、まだだよ!」

「ねぇね、またねぇ。」

「もう少し頑張って!僕たち待ってるからね。」


「どうして?いやだ、私も一緒に行く…。」


***


 ピッピッピッ——心電図のモニターの音が聞こえる。

 目を開けると、明美が「お母さん!」と叫び、続けてナースコールを押して「母が目を覚ましました!」と叫んでいるのが見えた。『明美、落ち着きなさいよ…。』声が声にならない。


 道子は心筋梗塞を起こし、家の中で倒れていたところを発見され、病院に運ばれたのだ。後日、自分が助けられた際の不思議な話を聞く。嵐の日の翌朝、地域の清掃活動をしていた親子が道子を発見したのだという。


「うちの娘、双子なんですけど、二人が変なことを言ったんです。


『私達とお揃いの帽子を被った子達がね、〈みっちゃんを助けて。こっちに来て。〉って言ってるの。ママ、一緒に来て。』


って。娘二人が真剣に言うものだから、付いて行ったんです。そしたら、掃き出し窓の近くで女性が倒れているのが見えて、玄関が開いていたので入って、救急車を呼んだんです。」


 その親子は、道子が編んだオレンジ色のニット帽を被っていた。


 医師によると、倒れてすぐ救急車が到着し、応急処置ができたから、後遺症もなく助かったのだそう。独り暮らしのお宅で、こんなに早急に対処ができたのは奇跡だと言われた。


 『キヨちゃん達が知らせて助けてくれたんだね。私はもう少し生きろって。』


 それから数か月後、道子は明美の説得に応じ、東京に移り住むことになった。心臓に負担をかけぬよう、まだ寒い日の外出や歩行は禁止されていて、車いす移動の道子は、あの日から参拝が適わなかった。今日はここで暮らす最後の日だ。どうしても参拝したかった。明美に車いすを押してもらい、お墓参りに行く。

 六地蔵に手を合わせ、水子地蔵のもとへ行く。あの日のニット帽を被ったまま、静かに佇んでいた。

「キヨちゃん、テルちゃん、ヨシ兄ちゃん、明日から東京で暮らします。ここにはもう来られなくなるけど、私が残された人生を全うするまで、もう少し見守っていて下さいね。」


 それに応えるように青く澄んだ空をトンビがピーヒョロロと頭上で何度も旋回した。

 かすかにお地蔵様が微笑んだように見えた。