小説

『おすそわけ』NOBUOTTO(『泣いた赤鬼』)

 

 

 オーディション落選の報告メールが、事務所の佐川から送られてきた。最近は電話でなくメールで済まされることが多い。

 新人担当の佐川のお抱えメンバーの中には大手の雑誌モデル、端役ではあるがドラマの出演が決まる子もいた。

 結果の出ない自分を何かと面倒を見てくれる佐川には感謝しなくてはいけない、そう自分に言い聞かせても、ふと思うのだった。

”もう辞めようかな”


*** 

「先生、武志を試合に出してください」

 康之の言葉で、堰を切ったように、後輩達も声を揃えて言うのだった。

「先生、武志先輩を試合に出してください」

 夏の区リーグはハンドボール部三年生の最後の公式戦だった。既に市大会進出のベスト四校が決定したあとの試合は、消化試合でもあり、三年生の引退試合になる。

 これまでも練習方針で武志と顧問の池田がぶつかることがあった。池田の指導方針は、正攻法で基礎力を重視するものであった。武志は、うまくなる練習だけでなくフォーメーションの強化など、勝つための練習をすべきだと主張していたのであった。

 昨日の試合のあとで武志は池田に食ってかかった。メンバー交代が遅くて、勝てた試合も勝てなかった、ベスト4を逃したと先生に食ってかかったのであった。武志が最後に爆発したことで池田も愛想が尽きたのかもしれない。今日は試合前から池田は武志を無視していた。

 池田の態度は度を超えていると武志も思っていたが、自分から頭を下げる気にはならなかった。ただ、最後の試合だからと応援に駆けつけてくれた両親には済まないと思っていた。

 結局、康之や後輩の直訴で池田も渋々武志を試合に出した。流石に大人気ないと思ったのだろう。

 引退試合は、前半の大量得点を覆すこともできなくて、あっさり負けた。

 しかし、武志を含めた三年生全員が試合に出場できた、清々しい試合となった。


***

「亜希ちゃん、康之君からあなた宛に何か届いたわよ」

 母が部屋に小包をもってきた。

「ヤッちゃんから?こんな時に、まったく」

 たまたま今、小包が届いただけで康之には何の責任もない。けれど、無性に康之に腹が立つ亜希子であった。

 埼玉の高校から東京の高校に転校してから二年経ち三年の夏休みも、もうすぐ終わりだ。

 高校在学中に結果を出すという目標の期限ももうすぐ終わりそうであった。

「壊れもの注意」と書かれていた小包を開封すると、新聞紙でしつこいくらいに包まれた風鈴がでてきた。

 情緒のかけらもない、大きな目玉が二つと大きな口がサイケデリックに描かれたガラスの風鈴であった。

「ヤッちゃん、こんな趣味だったの?風鈴って、もう夏も終わりじゃない」


*** 

 武志と康之と亜希子は同じマンションに住む幼馴染だった。同じ小学校に通い、同じ地元の中学に通った。中学の部活は、武志と亜希子がハンドボール部で康之はソフトテニス部だった。

 武志と康之がハンドボール部に入学した時に、ハンドボール専門の先生が顧問となった。それから弱小部はメキメキと強くなって行った。

 ハンドボール部は女子と男子に分かれていたが、女子は男子の、男子は女子の応援に必ず行っていた。女子の応援は男子部員一人一人に応援フレーズを作ったり、試合の展開に合わせた何種類かの手拍子を考えたりと工夫に富んでいる。しかし、男子は「イケイケ、イケイケ」「一本、一本決めちゃって」と声が大きいだけで何の工夫もない。

 女子の応援のおかげで男子は県大会まで進むことができて、男子の応援のせいで女子はいつも市大会で終わっていた。単に実力がなかっただけなのに、女子部員は誰もが本気でそう思っていた。

 武志はハンドボール部のキーパーで県大会にもいき、高校も推薦入学だった。

 康之は、高校の進学クラスに入ったのだが、進学クラスでは珍しく部活、それもハンドボール部に入った。武志よりも背が高く手足も長くてキーパー向きであったが、高校生から始めたためかボールを恐れることがあった。


*** 

「そうか、今年の風鈴祭りも終わったんだ」

 地元の神社では、七月の下旬から八月のお盆まで、風鈴祭りが開催される。百八つの風鈴が、境内の鳥居から本殿に続く回廊棚に吊り下げられる。鉄製や、色とりどりのガラス製の風鈴は、祭りに来る人の目も耳も楽しませてくれる、この街の夏の風物詩であり、日本全国から見物客が来る有名な祭りであった。

 風鈴祭りでは、地元商店街が主催するイベントが開催された。

 亜希子は小学校の高学年から、地元アイドルグループとしてミニコンサートを行っていた。ハンドボールでもキーパーの背の高い亜希子は、中学生になるとひときわ目立っていた。

 ミニコンサートの映像がYouTubeにも流され、東京の芸能プロダクションの目にとまり、亜希子はスカウトされた。

 高校に入ってからも、埼玉から東京の事務所まで歌と踊りのレッスンで通っていたが、もっと本格的にと母と一緒に上京し、学校も一学期で転校した。

 それからというもの、事務所の指示で毎月のようにオーディションを受けている。

「なんか、あの祭りの頃から十年くらい過ぎちゃった気がする」

 亜希子は風鈴をベランダに吊るした。

 それまで全く風が吹いていなかったのに、風鈴を吊るした途端にそよそよと風が吹いてきた。


*** 

 体育館の控え室で武志と康之は帰り支度をしていた。

「悪かったな変わってもらって」

「だって、武志が正キーパーだし、おじさんも、おばさんも応援に来てたじゃないか」

「ヤッちゃんは本当に良いやつだよな」

 学校では康之と呼ぶが二人の時は「ヤッちゃん」と呼ぶのだった。

「ヤッちゃんが女だったら絶対に結婚するのに」

「武志が女でも良いだろ」

「やめろよ、気持ち悪い」

 小学校から続いている二人だけのボケツッコミパターンである。


 中学の時から生活の多くの時間を割いたハンドボールがひと段落した。武志は、少し寂しくて、少し気が楽になった。

 横で静かに帰り支度をする康之も同じ気持ちなのだろうかと武志は思った。

 一年の後半から武志が正キーパーで、康之が補欠となった。経験量の差は大きいが、武志は康之にマンツーマンでキーパーの指導をした。康之は性格が素直でどんどんうまくなっていった。キーパーが一人では試合をこなすことはできないので、二人体制となったが、やはり勝ちに行く試合には武志が出て、消化試合には康之が出るのだった。

「ヤッちゃん、ハンドボール部は楽しかった?」

 ずっと聞きたかったが、それを聞くとなんか康之に失礼な気がして聞けなかった質問だった。

「うん、ハンドボールやって、武志と一緒にキーパーやって、楽しかったあ」

「ヤッちゃんは、これから勉強か、進学クラスだもんな、すごい大学狙ってるんだろ」

「いや、専門学校に行くんだ」

「えっ」

「東京にある専門学校、鉄道学科を目指しているんだ」

 康之が鉄ちゃんだったことを思い出した。

「特進クラスだと、先生許してくれないだろ」

「うん。結構言われたけど、もう決めたから」

「武志はどうするの?ハンドボールやって行くの」

「無理無理、県大会にいけなきゃ推薦もないよ。まあこの夏休みにゆっくり考えるわ。けどヤッちゃんは偉いなあ、自分の将来をちゃんと決めていて」

「僕よりアキちゃんの方が偉いよ」

「確かに。けどさ、やっていけるのかな亜希子」

「大丈夫だよ。祭りのコンサートでも一番かっこよかったし、オーラがあったもの。東京の芸能事務所からスカウトされたんだから、やっぱ凄いよ」

「ハンドボール部女子が応援にきて盛り上げてたから目立ったんじゃないの。けどさ、亜希子は、アイドルやるには、背が高すぎんだよな。色も黒いし」

「色が黒いのは部活のせいだよ。小学校ときは色白だった。それから、踊りはキレキレだしね」

「まあ、運動神経はいいからな」

「大変なんだろうなあ、プロになるのって」

 ハンドボール部の引退が決まって康之なりにプレッシャーがなくなったのかも知れない。

 それにしてもよく話す康之だった。そして康之の素直な気持ちを始めて聞いている気がする武志だった。

「今更だけどさあ、ヤッちゃんは中学のときは、ソフトテニスだったろ。どうしてハンドボール部に入ったの」

「なんかさ、武志とアキちゃん見てて楽しそうだったからね。僕もやってみたくなって、ハンドボール。どうせやるなら武志と一緒にキーパーをやろうかなって」

「ふーん。俺は楽しかったけど、女子は亜希子以外弱くて勝てなかったから、辛かったかも」

「そうなんだ。けど、アキちゃん、いつも楽しそうだった。いまも楽しくやってるんだろうなあ」

「まあ亜希子だから、がんばってんじゃないの」

「最初は小さなグループに入ってたけど、それも解散しちゃって。また新しいグループで始めるのかな」

「へえ、そうなんだ。けど、なんで知ってるのそんなこと」

「だって、アキちゃんの事務所のインスタとかフェイスブックでたまにでてるじゃない」

「ふーん。あいつも大変なんだなあ」

「大変なんだよ。やっぱり芸能人って、夏は忙しいんだろうね」

「芸能人って、いうほどのレベルじゃないだろ」

「事務所に入ったんだからもう芸能人だよ」

 いつもの穏やかな口調ではない康之に少し引っかかる武志だった。

「あれ?」

 風鈴祭りで、ハンドボール部以外では、いつも康之が応援に来ていたことを思い出した。

 幼馴染だからと思っていた。

 高校入学の時に、康之がハンドボール部に入ったと亜希子と話が盛りあがっていたのを思い出した。

 いつもの会話だと思っていた。

「ヤッちゃん、お前、まさか亜希子と話しを合わせるためにハンドボールを始めたとか?」

「そんなわけないだろ。アキちゃんとは関係ないよ」

 そう言って康之はバッグを持って立ち上がった。

 体育館の2階の窓から夏の強い日差しが康之の顔にあたった。

「風鈴祭りももうすぐ終わりかあ。今年も風鈴祭りに帰ってこないんだろうなあ。東京と此処とは近いのになあ」

「亜希子に帰って来いって、LINEすればいいだろ」

「アカウント、知らないし、帰って来いって言うわけにはいかないだろう」

「言うわけにはいかない、のかなあ。うーん」

 武志はじっと考え込むのであった。


***

 風鈴にぶら下がっている短冊には「がんばれよ」と書いてあった。

「がんばれよ、か。がんばって済むなら簡単なのよ」

 佐川にいつも言われている言葉が浮かんでくる。

「歌も踊りも演技も、ひとつひとつは良いの。ただね、全部足した時のあなたは魅力が出しきれていないの」

 全部足したときの私の魅力と言われても、それが分かれば苦労はしない。

「結局、最後の押しが弱いってことなのかな」

 風に揺られていた風鈴の奥から、もうひとつ小さな短冊が顔を出した。

 風鈴の中に入っていたに違いない。

 短冊が出てきたとたんに、風鈴は軽くてリズミカルな音に変わっていった。その短冊には「来年の風鈴祭りで会おう!」と書かれていた。

「祭りで会おうって。何それ。ヤッちゃん、今更私にコクってるの」

 風鈴が鳴った。

「これが、ヤッちゃんの最後の押しだったりして」

 風鈴の音が聞こえた母がベランダにやってきた。

「康之君、かわいい風鈴送ってくれたのね。それでなんだって」

「おすそわけですって」

「何?」

「お祭りの、おすそわけだって。けど本当に汚い字ね。まるで武志みたい」

 亜希子は小さな短冊を、風鈴の奥に優しく戻した。

                

終わり