小説

『オトヒメ・ノングラータ』蔵原先(『浦島太郎』)

 

 

 内容証明が送られてきた。

 送り主は夏目雄一。どうやら私を訴えるらしい。被害者を募って、彼が代表者となっている。


 私は五年前まで、歯科受付をしながらひっそり生活していた。

 通勤時、毎朝ホームで見かけるあの人。

 ある日私、気分が悪くなっちゃって。そうしたらあの人がホームで蹲っている私を助けてくれた。ミネラルウォーターのペットボトルを差出して、

「駅員さん呼んできましょうか」

 私、昔から片頭痛があって、こういう時は大体十分くらいすると治まるのが分かってたから、黙って首を横に振ったら、あの人、私が楽になるまで、隣で介抱してくれた。

 それから、朝ホームで会う度、挨拶するようになった。出勤するのが憂鬱な朝が楽しみになって、化粧とか髪とか、念入りにするようになった。

 その日もホームであの人を見かけて、自分から話しかけられないウブな私は俯き、挨拶代わりに頭を下げた。笑顔を向けてくれたあの人とすれ違い様、あの人の背中に、人影が見えたような気がした。目を凝らしたら、ぼんやりだけど、老人ぽい人の顔。その顔があの人に必死に話しかけているように見えたから、思い切って、

「あの、気に障ったらすみません。貴方の後ろにお爺さんみたいな人が…」

 そうしたらあの人の顔、みるみる強ばって、あちゃあ、私、絶対変な人だと思われちゃったって後悔したの。だけどあの人、

「え!お爺ちゃん、ここにいるんですか」

 びっくりして、思い詰めた表情になって、携帯でどこかに電話かけた後、

「…ずっと入院してたんです。今、家族に電話したら、急変したみたい。行ってきます」

 そう言って、急いで改札を出て行ってしまった。

 それからあの人とはめっきり会わなくなって、一か月くらいしたら、朝、偶然、駅で見かけた。私に気付いた途端、駆け寄ってきて、

「おかげでお爺ちゃんの最期に会えました。ありがとうございます」

 うっすら涙を浮かべて、

「僕、お爺ちゃん子だったんです。もしかしたらもう会えないかもしれないって、覚悟してたから…」

 そして、

「あなた凄いです。霊能力っていうんですか。僕、初めて体験しましたよ。あ、申し遅れました。僕、夏目雄一っていいます」


 同じ頃、働いている歯科に来院したお客さんの肩に、靄が見えた。何回か世間話したことのあるオバさんで、怖い人じゃないことが分かってたから、試しに、最近肩の調子どうですかって聞いてみたら、そのオバさん驚いて、

「今度手術するの!階段から滑ってグキッていっちゃった。鍵盤断裂って、手術しても治らないかもしれないんだって。でもどうして?見た目はどうもないから誰も気づかないのよ」

 正直に、靄がかかっていることを白状したら、

「こりゃ本物だ」

 何故か感心されて、そのオバさん、手術前にやって来ると、お守りを私に渡してきて、

「お願い祈って。私の手術が無事に終わりますようにって」

 オバさんの目つきが尋常じゃなくって、私、そんな事したことありませんって笑ったけれど、結局オバさんの気迫に負けてしまって、どうすればいいかわからないまま、そのお守りを手にして、○○さんの手術が成功しますように、えいっと念じて、お守りをオバさんに返した。


 その頃から私、そういう現象が増えていった。

 実をいうと、母方の家系に「視える」人がいて、占い師になった女性がいたことを聞いたことがある。他人事と思っていたけれど、もしかしたら私も同じ能力を授かったのかもしれない。


 この能力のおかげかな。あれから夏目さん、私にいろんなことを相談してくれるようになった。週に一回、退社後にカフェで待ち合わせして、仕事が上手くいかないこと、結婚 を約束していた彼女と最近別れたこと、兄弟の不和、いろんなこと。

 一通り聞いてあげると、毎回彼、涙を流して私にお礼を言って、そして何故かお金をくれるの。もちろんカフェの代金も奢り。


 手術が終わったオバさん、私を見るなり、

「奇跡よ!ほら、見て」

 バッターボックスに立ったプロ野球選手みたいに、肩をぐるぐる回しながら、

「あんた、こんな所にいちゃ勿体ないよ。その能力で商売しなよ」

 そう言って、私にこっそりお金をくれた。


 オバさんの勧めもあって、私、とうとう歯科受付を退職して、霊能力者として生きていくことを決めた。

 貯金と退職金をはたいて、アパートの一室を借り、細々と始めた。相場が分からないまま、とりあえず相談三十分五千円、延長料一分五百円でやってみることにした。

 オバさんの集客もあって、出だしからまあまあのお客さんが来てくれた。

 でも私、喋るの得意じゃない。お客さんの一方的な長話で三十分が過ぎちゃったら、私が見えたものや感じた事が言えなくなっちゃう。だって、三十分過ぎたらアウトなんだもん。それに私、話すスピード遅いから、延長十分くらい貰わないと、全部話せない。だからといって四十分五千円にしたら私が疲れちゃうし。不思議なんだけど、他の霊能力者や占い師の人達は、そこらへんどうやって折り合いをつけてるの。だって、深刻な症状のお客さんがいても、お金を払わせないと真実を伝えてあげないわけでしょ。それって本当の人助けっていえるの。霊能力って一体何のためのもの。自分にいっぱいお金をくれた人だけにしか教えてあげないなんて、ケチ。偉そうに、善人ぶってるくせに。私は人格者じゃないから、どうでもいいけど。

 あるお客さんに、除霊を頼まれた。自分は悪霊が憑りついているから貧乏なんだって言い張る人。除霊なんて私、したことないって断ったのに、どうしてもって言われて、仕方なく、悪い霊さん、どこかに行ってください、えいっとお願いしたら、そのお客さん、急にスッキリした表情になって、体が軽くなりましたと感激して、それから除霊二万円が占いメニューに加わった。


 もちろん、夏目さんもお客さんとして頻繁に来てくれた。私、お客さんは夏目さんだけで良い。だって私は彼が好きだし、話を聞いてあげるだけでお金をいっぱいくれるから。  夏目さん、私を「女神様」って呼ぶようになった。彼、目をキラキラさせて、本気でそう思ってるんだって確信した。私もその気になって、夏目さんの女神様になろうって決心して、私、女神になった。


 一年が経った。物販も始めた。私がえいっと念じた紙切れのお守り、開運ブレスレット、除霊スプレー、上昇Tシャツ…。

 二年経ったら、私、今まで見えてたものがあんまり見えなくなっていた。以前は、えいって念じただけでお客さんから重宝がられたものだけど、今はどんなに気合いを入れてみても、効果がないと不満を言ってくるお客さんが増えた。

 三年経って、夏目さんが急に変な事を言い始めた。

 友人から、金輪際私に関わってはいけないと言われている。別れた彼女とよりを戻したい。彼女におかしい人と思われたくないから、もうここには来ません。

 その頃にはもう私、殆ど能力が無くなっちゃって、特に夏目さんのことは、もう全然何にも、ちっとも見えなくなっちゃってた。

 だから思った。私が、私を女神にしてくれたあの人を守らなくちゃって。夏目さんは私の側にいたら安心なの。だって私は彼の女神なんだから。

 私、キッと彼を睨みつけて、

「あなたに悪い霊が見える。きっと霊が言わせてるのね」

 いつになく低い声で言うと、彼、体を震わせて脅えだした。

「即刻、除霊の必要があります」

 結局夏目さん、私に二万払った。心を凍らせて、私、その二万円を受け取った。

 だけどそれからあの人、めっきり私の所に来なくなっちゃって、一年後、やっと来てくれたと思ったら、顔面蒼白で、目も合わせてくれない。

「お別れを言いに来ました」

 消え入りそうな小さな声で、

「元の世界に戻りたいんです…」

 あなたの世界はここ。あんなにも、私と出会って人生が好転したと喜んでくれていたのに、一体全体、どうしちゃったの。だけどそこまで言われてしまったら、私もさすがに鬼じゃないから、ぐっと堪えて、分かったわ、と言った。


 あの人が来なくなって、心にぽっかり穴が空いたよう。相変わらず霊能力もさっぱりだし。それでも時々私を頼って来る変なお客さんもいるから、辞めるに辞められなくなっていた。

 それから一年が経って、お別れしたはずの夏目さんが突然やって来た。弁護士を名乗る男性を引き連れて。

 弁護士だというその人は、どう見てもただの友人だと思った。きっとこの人が私を悪く言って彼を唆したんだ。その弁護士サン、カンカンに怒っていて、夏目さんは逆に、肩身が狭そうにしていた。

「こいつは優しい人間なんです。善良な若者から大金奪って、犯罪者と同じでしょう!」

 弁護士サン、席につくなり大激怒。

「おたくさんがふんだくったお金、一円残らず返して頂けませんかね!」

 おい、そこまで…と、彼が止めようとすると、弁護士サン、

「お前なあ。この期に及んで庇うのか。大体こんな奴に引っ掛かるなんてお前も相当だぞ。見るからにヤバいだろこの女」

 と、呆れた様子。

 私、どんなに怒られても泣かなかった。むしろどんどん平気になっていった。

「弁護士さんだというのなら、名刺いただけます?」

 私に言われた弁護士サン、眉を顰めて、

「今、ありません」

 プイと横を向いてふかしたので、少し笑ってしまったら、それが気に食わなかったらしく、更に怒りだしたから、

「それよりも早く病院に行った方が良いわ。大変なことになる」

 私、何でもない顔で言ってやった。

「それがあんたの作戦か。まさか俺に通用すると思ってやってんのか、いい度胸してんな」

 弁護士サン、バカにしたように笑ったから、私、ムッとして、

「あなた、足の裏に小さな腫瘍ないかしら。いつから放置してるかわからないけど、このまま放っていたら危険よ」

 ギクッとした弁護士サン。それに気づいた夏目さんが、

「…あるのか?」

 耳打ちすると、弁護士サン慌てて、

「…あるか、そんなもん!」

 お前も何か言えと弁護士サンに言われると、彼はおずおずと私の顔を見た。

「僕は…三十五歳になってしまいました」

 ポツリと、口にした。

「いつの間にか友人達は結婚、子育て、同期には抜かれっぱなし…。その間、僕はあなたに傾倒して、気になることがあったらすぐ伝えなければ、嫌な予感がしたら取り憑かれてるんじゃないか、そろそろブレスレットの効果が切れるから、今月は二つ買っておこうかと、朝から晩まで、常にあなたのことばかり考えていました」

 そう、それで良かったじゃない。どうして離れて行ってしまったの。

「お金は…もちろん返してほしいけど、それよりも棒に振った五年間は、もう戻ってこない。それが悔しい。僕は今、完全に周りから置いて行かれて、まるでお爺さんにでもなった気分なんです…」

 わからない。何を言っているのか。

 相談に乗ってほしいと、最初にお金をくれたのはあなた。私が商売を始めて、お客さんとしてあんなに熱心に通って、妄信して、私を女神にしたのも、全部全部、夏目さん自身がやったことよ。

 そしてもう会いませんと、勝手に私から離れて行った。

 どうして今になって私を責めるの。あなたがモテないのも、仕事が出来ないのも、全部私のせいだっていうの。私といる時、あんなに楽しそうに笑ってたのに。あのまま私の側にいたら、そんな悲しい思いしなくて済んだのに。

 さすがの私も泣いてしまいそうになったから、悟られまいと彼を見つめて、

「私にそんなこと言ってどうなるか…分かってるわよね」

 そうしたらあの人、私から目を反らして、一層沈んだ表情になった。


 夏目さん達が帰って、扉を閉めた後、扉の向こうから二人の話声が聞こえてきた。

「あれの何処が女神だよ。どこからどう見てもただのオバハンじゃん。お前、まるでアイドルか何かみたいに舞い上がっちゃって」

「ああ本当に…。何だかずっと、長い夢を見ていたような気がする」

 二人の声が遠くなっていった。


 私もそう。ずっとずっと、長い夢。

 あなたは自分を三十五と言ったけど、私はもう五十。

 ねえ、本当は私、ずっと言いたかった。

「先生、どうしたら僕は幸せになれますか?」

 あなた、私に会う度そうやって聞いてきてたけど、教えてあげる。そもそもこの世界に幸せな人なんていないの。

 出世コースの同期や、子を養う友人も、本当は全然幸せなんかじゃない。

 そう思われたいだけ。演じてるだけ。あなた、騙されてるの。

 幼稚で、愚か。

 これから何処に行っても、あなた、きっと騙される。


 だから私は目覚めない。絶対。


(了)