『祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす』
今、化粧室に立つわけにはいかない。
そう思うのと、平家物語の冒頭文を思い出すのが同時だった。
『驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者も遂にはほろびぬ、ひとえに風の前の塵に同じ』
今、化粧室に立つわけにはいかないと思ったのは、それが涙を隠すための行動だと思われたくなかったから。平家物語の冒頭文を思い出したのは、今私が席を立ったら、その隙に重盛がこの食事の会計を済ませてしまうだろうと思ったから。
この店の代金は、私が支払わなければならない。たとえこれが重盛に誘われた会食だったとしても。
私が橘重盛と出会ったのは、中学二年のクラス替えの時だった。同じ高校に進み、大学も同じ。重盛との付き合いは十五年になる。勉学もクラブ活動も、社会人になってからは仕事も、互いに支え合い、励まし合い、競い合ってきた。
あれは忘れもしない中学二年と三年の間の春休み。塾の試験の志望校判定結果が思わしくなくて落ち込んでいた私に、重盛が購買から飲み物を買ってきてくれた。当時私がはまっていたペットボトル入りオレンジティー。
私は有難く受け取って、重盛に代金を支払おうとしたんだけど。
「奢れる人は金払う、試験結果は春の夜の夢のごとし」
重盛はそう言って、代金を受け取らなかった。
私は、重盛に言われた言葉の意味がわからなくて、きょとん。
「え?」
私の頭がまわり始める前に、重盛はその場から姿を消していた。
あの時はまだ平家物語を習ってなかったんだよね。私は『驕る平家』のフレーズも知らなかった。
春休みが終わり、三年に進級してまもなく、私たちは国語の時間に平家物語の冒頭文を習った。
『驕る』と『奢る』。音は同じなのに、意味が違う動詞。重盛の謎の言葉は、その二つをかけた駄洒落だったんだ。
今になってやっとあの励まし(?)の言葉の意味がわかったことを報告しがてら、私は、「平家物語、予習してたんだね」って、重盛に感心してみせた。
そしたら重盛は、「予習していたわけじゃない」と言って、自分の名前の由来を教えてくれたの。
橘重盛なんて、戦国時代の武士の名前っぽいと思ってたんだけど、その名の元ネタは平重盛。戦国時代どころか、鎌倉時代よりも前、平安末期の武将の名だった。
重ねて盛ん。名前としてはいい名前だけど、平重盛から取ったのだとすれば、縁起がいいような悪いような、ちょっと微妙な名前だよね。
驕る平家一門きっての良識派と評されていたとはいえ、平重盛は、その良識ゆえに平家を滅ぼしたも同然の二代目無能頭領だもの。
父である平清盛と後白河法皇の間で、「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」と苦悩した人。驕る平家で驕らなかったばっかりに、心労の絶えなかった苦労人だ。
でも、重盛のお父さんは平重盛の誠実な人柄が好きで、だから息子にその名をつけたんだって。自分の進む道を、たとえどんなに悩んでも、環境や時代の流れに囚われることなく、自分の意思で選択できる人間になってほしいっていう願いを込めて。
で、そんな重盛が私のことを気に掛けるようになったのは、私の名が藤田時子だから。平家一門で『時子』といえば、平重盛には義母に当たる女傑。それで、ちょっとだけ、私が気になっていたらしい。
ともあれ、そのオレンジティー以降、私と重盛は、トラブルがあって落ち込んでいる時やヘマをやらかして凹んでいる時には、元気な方が元気のない方に飲み物を奢って、励ますようになった。その際、励ます側が「奢れる人は金払う」のフレーズを口にして、飲み物を渡すのがお約束。
そうやって奢り奢られ――収支はとんとんだったんじゃないかな。奢ってもらうと、「次は自分が奢る側にならなくちゃ!」って奮起するでしょ。
負けず嫌いの私には、重盛の存在とその言葉は、すごく効果的な活性剤で栄養剤だった。
私たちはそんなふうに切磋琢磨して、同じ高校、同じ大学に進んだ。
重盛は「予習していたわけじゃない」と言ってたけど、重盛が平家物語の冒頭文を学校で習う前に調べて知っていたのは、紛れもない事実。私にとって重盛は、いつも私の一歩先を歩いている好敵手だった。私はそう感じていた。私は、常に一歩先を歩いている重盛に追いつこうとして、日々頑張ってる感じ。
その一歩の差が二歩三歩と広がりだしたのは、私たちが就職してからのことだ。
同じITコンサル業界なんだけど、私と重盛は違う会社に就職した。中学高校大学と同じ学府に籍を置いていたから、所属する組織が別になるのは初めてのことだった。別組織なんだから、労働環境や評価基準が異なるのは当然のこと。なのに、私は、私だけが仕事で成果を出せず、重盛に置いていかれてるような気持ちになって、無性に苛立ち始めた。
重盛に負けたくなくて、重盛と対等でいたくて、私は意地になって頑張ったよ。
でも――客観的な数字の根拠もないのに、二人の差が開く一方のような気がして、私の焦りの気持ちはどんどん大きく激しくなるばかり。
重盛は、そんな私の気持ちに気付いていたのかいなかったのか。
二十五歳の誕生日、私は重盛にプロポーズされた。
重盛は子ども好きだ。私と重盛双方の両親が私たちが結婚するのを期待してて、それが実現したら祝福してくれることもわかっていた。けど、私は重盛のプロポーズを断った。
その時、私は、初めてリーダーを任された中規模プロジェクトがうまくいってなくて、自分の仕事に停滞感を感じていた。自分に自信を持てなくなっていて、いわゆるスランプの真っ最中だった。
もし重盛のプロポーズを受けるなら、仕事で目に見える成果を出し、私が重盛の優位に立っている時じゃなきゃならない。今は駄目だと思った。
結婚して育児をするようになったら、女である私は戦線離脱を余儀なくされる。それは仕方のないことだ。なら、せめて結婚の時だけは、私の方が圧倒的優位に立っていたい。仕事がうまくいかなくて弱っている時に、仕事から逃げるように結婚するなんてのは、絶対にいや。
結婚して、『奢られる側』が一生の定位置になるなんて、私には耐えられない。
「今は駄目」
それが、重盛の最初のプロポーズへの私の返事だった。
それからだ。私の誕生日には一緒に食事をしてプロポーズ。そうするのが私たちの毎年の恒例イベントになったのは。
いつか重盛を追い越して、私が奢る側になるんだと意地を張っているうちに、私は三十歳になった。
大事な話があると重盛に食事に誘われた時、私は既に三十歳になっていた。三十歳の誕生日は、三日も前に過ぎていた。そして、食事の約束の日は、私の三十歳の誕生日の一ヶ月後。
重盛から食事の誘いがあった時、私は、その日にちの意味に気付くべきだった。
前年までは、誕生日の一ヶ月前には「予定を開けておいてくれ」という連絡が必ずあって、それで自分の誕生日を思い出していたくらいだったのに。今年の一ヶ月の遅れに意味があるなんて、その時、私は考えもしなかった。「仕事が忙しかったのかな?」だの「またプレゼントとプロポーズか、懲りないなー」なんて考えて、呆れてさえいた。
毎日スマホで業務連絡的やりとりを続けていたとはいえ、私たちが直接会うのは半年ぶりだったっていうのに。
重盛は、私が誤解しないように、あえて誕生日から一ヶ月が過ぎたその日に、二人の会食の場を設定してくれたっていうのに。
「今度、時子の知らない人と結婚することになった」
食後のコーヒーの香りの中、重盛はいつもより静かに、穏やかな声でそう言った。
不意打ちだった。
重盛が何を言ったのか、私はすぐには理解できなかった。
重盛が私じゃない人と結婚? どうして?
わけがわからないまま、一分、二分、三分、五分。
淹れたてのコーヒーの香りがすっかり消えてしまった頃になってやっと、驕っていたのは自分の方だったことに、私は気付いた。
私は、重盛はいつまでも私だけを思っているのだと信じていた。これが驕りでなくて何なのか。
諸行は無常。すべては移り変わる。人の心だって、もちろん。重盛の心だけが不変のはずがない。
そんなこと、中学の国語の授業で習い済みだったのに。
きっと、あの頃の私は若すぎて――中三の私は、あの名文の字面と調子だけを覚えて、その文章の意味するところを理解しきれていなかったんだ。
『猛き者も遂にはほろびぬ、ひとえに風の前の塵に同じ』
理解できていなかったから、「塵も同然の物語を、なぜ日本人は八百年も語り継いできたんだろう?」なんて、呑気に不思議がっていられたんだ。
理解できないまま十五年。ある意味、それは幸福な時間だった。私が幸せなお馬鹿さんでいられた月日。
演じる人物が入れ替わるだけで、盛者必衰のドラマ自体は不変なんだ。そのドラマは、いつでも、どこででも、誰かによって演じられている。そっか、そうだ、そういうことだったんだ。
今、その物語の主役はこの私。
「時子は強い人だ。僕は弱くて、時子への思いを貫き通すことができなかった」
声を生むこともできずにいる私に、重盛がつらそうに言う。
私は強くなんかないよ。頑迷なだけ。変われないものは淘汰される。それが歴史の習いってもんだよね。
私は変われなかった。変わり損なった。変わりたくなかった。
重盛が熟考して決意したことなら、翻意は期待できないね。重盛の深慮と慎重さを、私はよく知っている。もしかしたら重盛自身より。
懐かしいよ。重盛と過ごした年月。忘れることのできない重盛との思い出。
『奢れる者は金払う』。言われてすぐに、それが平家物語の冒頭文のもじりだと理解できなかった自分の教養のなさへの苛立ち。
それにしたって下らない駄洒落だと、重盛に文句を言い、大笑いした放課後。
同じクラブに入る必要なんかなかったのに、バドミントンとテニスのどちらに入部するかで揉めた高一の春。
地区大会の準決勝で二人揃って負けて、なぜか緑茶を奢り合ったこと。
初めてのキスはぎこちなかった。
もっとぎこちなかった、初めての抱擁。
同じ業界とはいえ、重盛と違う会社に籍を置いて働き始めるのが不安でならなかったこと。
初めてリーダーを任されたプロジェクトの成功で、上司に高評価を受けたことより、重盛に褒めてもらえたことの方が百倍も嬉しかったこと。
ずっと重盛と一緒だった。いつも一緒だった。
ありふれた言い方をするなら、重盛は私の青春そのものだった。
泣きそうだ。でも、泣くわけにはいかない。
「化粧室に」
五分の沈黙は、さすがに長すぎた。重盛が私に化粧室に行くよう、視線で示す。
重盛は、私が泣くと思ったわけじゃないだろう。誰に対しても、すがりつく私じゃないことを、重盛は知っている。でも、慎重派の重盛は、万一のことを考えた。私のささやかな動揺の様も、見ちゃいけないと思ったんだ。
だから、私は笑った。私は、確かに笑った。誰が何と言おうと、私は笑った。
重盛に哀れまれるのはいや。同情されたくない。重盛を責める気もない。涙で責めるなんて、とんでもない。
私は重盛を傷付けたくない。
私は今は、重盛の前で、プライドの高い高慢女でいたかった。
「その隙に、会計を済ませようってわけ? そうはいかない。ここは私が払う」
「奢れる人は――」
重盛がいつものセリフを言おうとするのを、私は問答無用で遮った。
「奢れる人は金払う。ずっと驕っていたのは、私の方だったんだね」
重盛の心はいつまでも変わることなく私だけに向いていると、平和と贅沢に慣れた平家の貴公子たちのように、私は驕りきっていた。
悪いのも愚かなのも私。それは認めなければならない。
『驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし』
でも、いつか、別の美しい夢に出会える時がくるかもしれない。
『猛き者も遂にはほろびぬ、ひとえに風の前の塵に同じ』
いつか、別の新しい風が吹くことがあるかもしれない。
だから、私は大丈夫だよ、重盛。
十五年間、ありがとう。誰もいないマンションの部屋に帰ってから、泣くことにするよ。重盛と私の恋のために。
八百年語り継がれてきた切なく哀しい物語。人の心の物語。
私の恋の物語も、今、めでたく、その仲間入りを果たしたってわけだ。
せめて潔く美しくありたい。