昔、あるところにチサーナ王国というちっぽけな国の王様がいました。
王様はその昔、冒険者として名を馳せた庶民上がりの人でしたので、日夜必死に働く民衆の苦労をよくわかっている立派な王でした。
民衆たちも王様の人柄を愛し称え、王国はとても平和でしたが、国は貧しく国民は苦しい生活を強いられていました。
それは、チサーナ王国の隣にロングスト帝国という強大な国家があったからです。
貧弱なチサーナ王国を攻め滅ぼそうと、ロングスト帝国は年がら年中虎視眈々とつけ入る隙を窺っており、チサーナ王国はロングストの脅威から国を守るべく、少ない国家予算の大半を国防費に割くことを余儀なくされていました。
そんなわけで、チサーナ王国は国民ばかりでなく、チサーナ国王までもが国王の衣装を一着しか持っておらず、色褪せたボロボロの一張羅になってしまっていたのでした。
その姿を見てオーミー大臣は家来たちと互いに顔を見合わせ、
「王様はチサーナの民衆のことを考える心優しいお方だが、こんなみっともない衣装では外交もままならぬのお」
「左様左様。国王なのだから、もっと王様らしく、衣装くらいは豪華なものを着て贅沢をしても国民は文句を言うまいに」
と溜息をつくのでした。
そんなある日、突然王様が
「一国の王に相応しい、見事な衣装を作った者に思いのままの報奨金を遣わす」
と言うお触れを出して、国中から仕立て屋を集め始めたものだから、オーミー大臣はびっくりしました。
ですが、
「ようやく国王も、ご自分の立場に相応しいささやかな贅沢をなさるご決心を。わたくしは嬉しゅうございますぞ」
とハンカチで目頭を拭うのでした。
しかし、チサーナ国王は、眩い純金で出来た衣装をしつらえてきた者には「重くてかなわぬ」と、全身に宝石を縫い込んだ豪華絢爛の衣装には「ゴツゴツして不快じゃ」と、そして珍しい七色の美しい鳥の羽を編んで拵えた衣装には「動物虐待も甚だしい！こやつを叩き出せ！」と立腹してしまうのでした。
こうしてどんな贅沢な衣装にも興味を示さぬチサーナ国王の前に、国王が信頼する警備部隊長のガナック長官に案内された、何も持っていない一人の仕立て屋がやってきました。
家来が理由を尋ねると、ヨハンと名乗るその仕立て屋は、
「これは頭が悪くて悪くてどうしようもない愚者には見えないお衣装なので御座います。まさか、王様、お見えにならないなんてことは御座いませんでしょうなぁ？」
と言いながら、衣装を手で払う振りをしました。
しかし、もちろん彼の手には衣装の影も形もありません。
オーミー大臣も家来達も、自分が愚か者だと思われたくなかったので、何もない空中を王様が衣装を着る仕草をしている間も、「これは素晴らしい！素敵な衣装で御座います」と、ヨハンにならって見えない衣装を褒め讃えました。
ヨハンが王様は申し出た衣装の報奨金のお代は、それはそれはバカ高くて城の財政と見合わせても余裕がないほどの金額でした。
しかし、王様はその見えない服を新しい服として着る事に決めました。
そして、その場で王様は「この衣装を着て明日城下町でパレードを執り行う。ヨハンとやら、衣装の報奨金はパレード後でよいな」
とご満悦の表情で申し渡すと、
「ははっ、結構で御座います」
とヨハンは薄笑いで手揉みをしつつ、恭しく畏まって答えるのでした。
翌日、朝から花火が打ちあがり、何事かと沿道に出てきた民衆は、派手なハート柄の下穿き一丁にマントを羽織り、権威の錫杖を掲げて得意げに小国の城下を歩くチサーナ国王の姿を目にすることとなりました。
パレードを先導するガナック長官が、
「国王は『この愚か者には見えない衣装』を気に入られて新しいご衣裳とされたので、それを民衆にお披露目するためにパレードを行う事を決めたのである。皆の者、称えよ！」
と号令を発しました。
パレードが始まり、王様はたくさんの家来を引き連れて行進しました。
普段は民衆のことをよく気に掛けてくれる大好きな王様でしたが、今日のチサーナ国王は、どう見ても珍妙な裸の恰好です。
始めのうちは何とか調子を合わせて「王様、素敵で御座います」などと口走っていた民衆でしたが、やがてパレードを見ていた一人の男の子が王様を指差し、
「なんだい、王様は裸じゃないか！何にも着てないヘンタイの王様だぁ！」
と叫んだのです。
王様が服を着ていないのは分かっていても、ここまで何とか笑いをこらえていた民衆でしたが、この男の子のひと言がきっかけとなって、やがて民衆の中からも「王様は裸だ！」という声が次第に沸き起こり、やがて腹を抱えて王様を嗤い蔑む者や、王様を指差して嘲笑を向ける者が増えていきました。
中には冷徹な一瞥を王様にくれて、何も面白くなさそうに目を背けて立ち去る者までいる始末なのでした。
その夜、お城で王様はオーミー大臣とお酒を飲みながら執務室で話をしていました。
「……で王様、捕えた男というのは、やはり王様を嘲笑した罰で？」
「いや。一昨日、我が国が開発に成功した強力な武器防具の精製図面が置いてある研究所に何者かが侵入した形跡があった、という話は知っているな？」
「噂は聞いております」と大臣が答えました。
「犯人は間違いなくロングストの秘密諜報員であろうな。すぐに国境を全て封鎖したのでまだロングストへは帰れずに国内に留まらざるを得ない状態にはしたものの、その線でガナック長官が捜索しようにも何しろ相手の顔もわからぬ。
そんなとき、あのヨハンとか申す悪徳商人が城を訪ねてあの衣装の売り込みにきたのだ。そこで、ガナックと相談して大々的な催事のお触れまで出し、一芝居打つことにしたのだよ」
「と申しますと……？」
「わからぬか？
仕立屋を集める触れまで出したため、ヨハンの衣装はもっともらしく皆が信じることとなった。
あのパレードの世にも珍妙な格好を見て、耐え切れずにゲラゲラ笑っている中で、一人だけ不可解な行動をした者がいた。冷静な目つきでパレードをみてから目を背け、その場を立ち去った男がおったろう？
こんな面白い見世物を放っておく民衆がどこにおる？
それとも、もっと喫緊の重要な要件でもあったのかの。
騒ぎを聞きつけて沿道に出てきたものの、一刻も早く図面の写しを母国へ持ち帰り、頭のおかしな国王に民衆が浮かれている今こそ極小国を攻める好機だと報告するために」
「なるほど！
それでガナック長官がパレードの先頭に立って怪しい奴を見つけ出し、部下に命じて動向を探らせたわけですな！いや、国王、お見事！」
「今頃、我が国の腕利き諜報員が、捕えた男が連絡しに行く先へ代わりに潜入し、上手く嘘の情報を流してくれている事だろうよ。これでひと安心だな、大臣」
しかし、そう言われたオーミー大臣の顔が曇った。
「いや、王様、まだですぞ。あのヨハンへの支払いが残っておりまする。我が国で最も値打ちのあるプラティナ星貨数十枚分の額を、国王は承諾なさってしまったのですぞ？
他の仕立屋の前で国王自らがパレード後に支払いを約束してしまった手前上、有耶無耶にはできませぬ。なんとなされる？」
そう聞いても、王様はいつものようにニコニコ相好をくずしたままです。
「そうだな。やはり支払わねばまずいのう。では、その役目、今度は大臣、お主に頼もうか」
翌日、またもや下穿き一丁の姿で玉座に鎮座する王様の前に、ヨハンが呼び出された。
「ヨハン、この度の仕事実に見事であった。仕事の報奨として望み通り、プラティナ星貨を与えよう。これ、大臣」
「へへェ」と畏まるヨハンの前に、「オホン」と咳ばらいをした大臣が勿体つけて片手分の大きさの革袋を持って進み出る。
チャリンチャリンという袋から聞こえる、何とも崇高な鈴の音色のような星貨が擦れる音を聞いて涎を垂らさんばかりにしているヨハンに、「報奨はこれでよいかな？」と大臣が尋ね、「では、これを遣わす。しかと渡したぞ」と革袋を手渡した。
「へへへ、そりゃあもう。ありがとうございやす」と革袋を受け取り、中身を確認したヨハンの顔色が変わった。
「こ、こ、これはどういうご冗談ですか、王様！星貨が入っておりませぬぞ！」
と、袋の底に敷かれた綿を取り出してまくし立てた。
すると、横に控えていたオーミー大臣が、
「ヨハン殿、それは頭が悪くて悪くてどうしようもない愚者には見えない硬貨なので御座います。まさか、王様からの賜り物がお見えにならないなんてことは御座いませんでしょうなぁ？」
と、フリルの付いた自分の大臣服の長袖の下に忍ばせた、袋に入れたプラティナ星貨をこっそり取り出しながらオーミー大臣が澄まして言ったそうな。
後日、「民衆があんなに喜んでくれるのであれば、もう一日追加パレードをして民の心を和まそうかの」と言い出した王様を、今度は大臣も長官も必死に説得して押しとどめた。
チサーナ王国は小国ながらも、いまもまだ庶民ともども慎ましく存国しているとか。
〈了〉