小説

『決まった人』宮沢早紀(わらべうた『はないちもんめ』)

 

 

 勝ってうれしい はないちもんめ

 負けてくやしい はないちもんめ

 となりのおばさん ちょっと来ておくれ

 鬼がいるから行かれない

 お釜かぶって ちょっと来ておくれ

 お釜底抜け行かれない

 お布団かぶって ちょっと来ておくれ

 お布団びりびり行かれない

 あの子がほしい

 あの子じゃわからん

 この子がほしい

 この子じゃわからん

 相談しよう

 そうしよう


「おかえり。どうしたの?」

 智哉の「ただいま」の声が沈んでいることに気づいて真子は尋ねた。こういうのは思った時にすぐ聞かないとどんどん聞きにくくなってしまうような気がしていた。

 同意とも否定ともつかない曖昧な返事だけが返ってくる。

「疲れてんの?」

 浮かない顔でリビングに入ってくる智哉に真子は再び声をかける。

「疲れてない……ちょっと、ヤなことがあった」

 ノートパソコンを半分閉じた状態で向けられる心配顔に、智哉はぽつりぽつりと学校での出来事を話しはじめた。


 生活の授業で昔遊びというものを教わり、智哉たちははないちもんめをやることになった。「勝ってうれしいはないちもんめ、負けてくやしいはないちもんめ……」の歌と手をつないで前後に進む動きはすぐに覚えることができ、くりかえし遊んだ。

 最後の「○○ちゃんがほしい」と自チームに引き入れたい子を指名するところでは当然、人気のある子から名前が呼ばれていく。それは智哉も早くから理解していたが、何度やっても自分が最後まで残ってしまうことに気づき、傷ついたのだった。

 真子は少しだけ気の毒に思ったが、これから先もっとつらいことや大変なことはあるのだから、そんな小さなことで落ち込まないくらいには強くなってほしいというのが本音だった。「それは嫌だったね」と智哉の気持ちは受け止めつつ、相手チームにも最後まで残る子がいるのではないかと指摘してみたが、相手チームは決まった人が残ることはなかったと智哉は不満げに反論した。

「他で、その……いじわるみたいなことは、されてないんでしょ?」

「うん」

 たまたま智哉が最後まで残っただけで一緒に遊んでいた子たちだっていちいちそんなことを覚えていないだろう。やっぱり智哉が気にしすぎだと真子は思うのだった。

「ていうか何? 授業ではないちもんめを習うの?」

「うん」

「お母さんも小さい頃、遊んでたよ。誰かに教わったんだっけなぁ」

「あんたがたどこさも知ってる? 他の班がやってた」

「知ってる知ってる」

 智哉の顔が明るくなったような気がして真子はほっとしたが、智哉の行く末に不安を覚えた。以前と比べるとだいぶ手もかからなくなったし、やさしい子に育ってくれているのはありがたかったが、もっとしたたかに、図太いくらいにならないと生きづらいだろうと思うのだった。


「開発で人が足りてないから、次の異動でうちから抜かれるんだって」

 人事異動の時期がくると同じ部に所属する秋山がどこからか情報を入手してくる。半分怒り、半分おもしろがっているような言い方だと真子は思った。 

「またぁ? 何回目よ」

そう反応してみせたが、次で四回目だという確かな記憶が真子にはあった。

 一度目は一生懸命にメモを取り、仔犬のようにひとなつっこい高橋。入社四年目で一通りのことができるようになった頃にいなくなった。

 その次は確か今年で三十になる池尻。本音が全て表に出るタイプなので、時に勘違いされ、敵も多かったが「あーお金ほしー」とぼやきながら働く姿はおもしろく、真子は気に入っていた。

 前回の異動では真子と同じプロジェクトを担当していた岡だった。三十前半で会社に来てから一年半と年次は浅かったが、仕事が速く頭の切れるタイプだった。もともと経営企画部志望だったため、岡自身も異動を喜んでいたし、真子も心から祝福したが、部としては優秀な人材を引き抜かれた上に人員補充もなかったので、なかなかツラいものがあった。

 岡がいなくなってからプロジェクトが一段落するまで残業続きだったことを真子は思い出し、若く優秀な人から抜かれていく部の状況が、はないちもんめのようではないかと苦笑いした。

 違うのは相手チームから人がやってくることはなく一方的に人が抜かれるだけということで、そんなはないちもんめが続いているのは部長の政井の存在が大きいと真子は思っていたし、秋山をはじめとする部の面々もそう思っていた。


 部長の政井は不器用で、社内での立ち回りが下手だった。何かと気を遣ってくれるので真子たち部下からの評判はそこそこだったが、いいように使われているとしか思えないこともあった。

 声が大きい年配の部長から言われるままに他部署の仕事を受けてしまったり、明らかに他部署が原因で引き起こされたミスなのに部で再発防止策を話し合い、役員会で発表させられたり、その度に真子たち部員は政井の不器用さに甘えるな、つけこむな、と憤った。

 政井は「悪いねぇ、ごめんね」と申し訳なさそうに謝り、誰よりも遅くまで働いてどうにか対処していたが、部から人を抜かれることがここまで続くと真子としては他部署の部長たちや無責任な人事部以上に、政井に対して何て損な性格なのだろうと腹立たしさを感じた。時にはきっぱり断ったり、厳しく反論したりしてほしいとやきもきし、この調子ではいつか政井が倒れるのではないかと心配もしていた。


 午前の打ち合わせが終わる頃、真子にチャットでメッセージが届いた。ピコンという受信音に、慌てて音量バーをゼロの位置まで引っ張る。

「少し前に帰国して来月から開発に異動です。久しぶりにランチでもどう?」

 チャットの送り主は真子が二十代の頃に同じ部にいた菅野だった。真子よりも十ほど上の菅野は社内公募に手を挙げてベトナムの関連会社へ出向し、売上拡大に貢献したことで開発部長に抜擢されたのだった。同じ部にいた頃からやる気に満ちていて、真子にとっては頼れる先輩だった。

「菅野さん、おかえりなさい! ご栄転お祝いのランチ行きましょう!」


 早速、その日の昼休みに菅野が行ってみたかったという定食屋でランチをしたが、ランチから戻ってきた真子は最後の話に記憶の全てが上書きされ、日替わりランチの味も菅野のベトナム滞在中のエピソードも思い出すことができなかった。

「次の異動で杉園には開発に来てもらいたい」

 食後のコーヒーを飲む真子をまっすぐに見据えて菅野はそう言ったのだった。秋山が今朝、言っていた「次の異動でうちから抜かれる」のが自分だったことに驚き、真子は口をつぐんだ。

 菅野によれば開発部は製品の仕様変更に時間をとられ、本来は力を入れてやるべき新製品の検討がほとんどできていないのだという。人事部に相談したところ「政井さんのところなら」と真子たちの部の名前が上がり、組織図から「杉園真子」という懐かしい名前を見つけて声をかけたということだった。

「その……人事にはもうお話されてるんですか?」

 真子が尋ねると菅野は周囲に関係者がいないのを確認してから小声で説明しはじめた。

「人事には本人の意志を確認するって言ってあるだけ。隠さずに言うと、実は他にも二人、声をかけているんだ。これは別の部の人で、もしも杉園がオッケーしてくれるならその二人については、今回は引っ張らないことにする。これはほんと、ここだけの話ね」

「菅野さんが私を覚えていてくださって、声までかけてくださって、ありがたいです。でも、異動は思ってもみなかったことで……ちょっと考える時間をもらえますか?」

 真子は慎重に言葉を選びながら答えた。スカウトされているのは真子の方で選択する権利は真子にあるはずなのに、後ろめたさを感じていた。

「もちろん、今決めてなんて言わないよ。でも、政井さんのところにいるよりは……ねぇ。前向きに検討してくれたらうれしい」

菅野は最後に白い歯を見せた。


 その日は午後の業務にあたっている間も帰りのバスに乗っている間も、真子は迷い、悩んでいた。

「政井さんのところにいるよりは……」という菅野の言葉が親指のささくれのように、ふとした瞬間に思い出されては真子を刺激した。菅野の場合、海外にいたから詳しいことは知らないのかもしれないが、よってたかって政井をひどい目に遭わせてきて、そんな言い方はないだろうと真子は思うのだった。

 無遠慮で力の強い人々の政井に対する仕打ちに憤りを感じつつも、とは言え、抜かれるのが四十代になった自分だったとはという驚きもあり、少し時間をかけないと頭の整理ができないと真子は感じていた。


 いつもより疲れを感じながら帰宅すると、智哉がさえない表情でダイニングテーブルに宿題を広げていた。真子は夫の和人を探してすぐに、夕方にオンライン会議が入っていると言っていたのを思い出した。声量に気を遣いながら智哉に声をかける。

「難しい宿題?」

「ううん」

「じゃあ、どうしたの?」

「うーん……」

「はないちもんめ?」

「今日も最後まで呼ばれなかった」

 智哉からはないちもんめの話を聞いた日の夜、真子はこの件について和人にも話していた。和人は手元のスマートフォンを見ながら「禁止にしてる学校もあるんだってさ。何だそれ」と鼻で笑ったあと、「こういうのは一時的な流行りだろうからなぁ……」と言った。多くは語らなかったが、真子は和人と自分がおおよそ同じ感想を抱いていると理解していた。

「違う遊びしたらいいんじゃない? 他の遊びしている子もいるでしょ?」

「いるけど、僕、はないちもんめやりたいんだもん」

「そうなの?」

「うん」

 智哉としては最後まで呼ばれないことに傷つきはするが、楽しいは楽しいのだという。一点を見つめてそう話す智哉の姿に、真子は智哉の小さな闘志のようなものを見た気がして、もう少し様子を見ることにした。


 菅野と話をしてから二日が経ったが、真子はまだ結論を出せずにいた。そればかりか集中しようとしても異動のことを考えてしまい、いつもなら一時間もあれば終わる受注処理に二時間近くかかってしまった。早く決断してしまえば済む話なのかもしれないが、それができずに苦しい時間が流れた。

 ぼんやりとノートパソコンを見つめていると智哉が玄関扉をガチャガチャと開ける音がして、もうそんな時間になるのかと真子は小さくため息をつく。

「ただいまってば」

 智哉は真子の顔を覗き込むようにして言った。真子が気づかぬうちに智哉はリビングに入ってきていた。

「ごめん、考えごと。おかえり」

 慌てて確認した智哉の表情が、ここ数日で一番明るいことに真子は気づいた。

「何? 何かうれしいこと?」

「今日は最初に呼んでもらえた」

すぐにはないちもんめのことだとわかる。

「よかったじゃん」

「勝ってうれしいはないちもんめ! ってやったらみんな笑ってさ、みんなマネしてやるようになったんだ」

 智哉は「はないちもんめ」の「め」のところで足を思いきり蹴り上げて、履いていたスリッパを遠くへ飛ばした。

「えー」

 突然の行動に真子がおおげさに眉をひそめると智哉はゲラゲラと笑った。つられて真子も笑う。智哉が自分で考えて靴を飛ばしたのか、たまたま飛んでしまったのか、ほんとうのところが気になったが、聞かないでおいた。

 智哉は「明日の昼休みもやるんだー」と言い、片足だけにスリッパを履いた状態でリビングをパタパタと歩き回った。


 滑稽な姿のままリビングを後にする智哉を見届けてから、真子は決断した。

 今の、政井のやさしさに甘えるようなやり方での異動には賛同できない。真子が出ていったら政井はもちろん、他の人たちも苦しい状況になるだろう。部下がさばききれなかった業務を政井が抱え込むのは容易に想像できた。政井が安心して部下に仕事を振れるような環境を整えないといけない。後輩たちに教えられる業務もまだ沢山ある。毎年、いろんな理由をつけて逃げている管理職への昇級試験を今年は受けてみてもいいかもしれない。。

 今の場所で、政井のもとでもう少し頑張ってみよう。いつか「杉園真子がほしい」と真子だけを指名してもらえるようになるまで足掻いてみよう。そう決意した。


 真子が窓際に目を向けると、片方だけ転がったスリッパが西日を受けて輝いていた。西向きのリビングも悪くないかもしれない、と真子は微笑んだ。