小説

『傴僂の隠亡』和織(『書けない探偵小説』)

 

 

 今日も雪が降り積もっていた。この時期は、仕事が減る。だから山の下は、その分だけ平和かもしれない。そんなことを考えながらリビングへ下りていくと、テーブルに手紙が置いてあった。


コウジさんへ      

 僕はずっと、コウジさんの役に立てる自分でいたいです。そんな風に思うことができて初めて幸せになって、ここ数年ずっと幸せでした。ありがとう。

 いなくなっても姿は覚えていられるし、姿を忘れても、綺麗だったことは覚えていてくれるよね?

 いつも魚を取っている川で待っています。

                             カナタより


 よくわからないと思った瞬間に全てがわかった気がして、俺はジャケットを羽織って家を飛び出した。そして、川の近くでそれを見つけた。雪の中にカナタがいた。自分の吐く白い息が邪魔くさくて、息を止めてしばらくカナタを見つめた。純白の中で微笑むカナタの姿は、今までで一番綺麗だった。そう感じるのは、その微笑みが本当に純粋に、俺だけへ向けられたものだからだろう。凍えながら笑顔を保って、カナタは自らの時間を凍結してしまった。若く美しいうちにそうすることが、俺の為だと思ったのだろう。確かに、この死に方は一番綺麗だ。そういうことがすっかり理解できて、俺はこの現実を結果として受け入れた。涙なんか出ない。ちゃんと壊れているから。壊れた人間にしか出来ない仕事をしたから、カナタは俺のところへやってきた。運命っていうのは、ただの不可抗力による出会いだ。

 窯で人を焼くのが仕事になったのは、十二年ほど前のことだ。その仕事で、俺は大金を手にした。初めはどう使ってやろうかと考えたものだったが、それはどうしたって空想の域を出なかった。おとぎ話は叶わない。現実において、使う金額に応じて付属される様々な面倒に、俺のような人間が耐えられる筈がなかった。そもそも、上手く金を使うことのできる奴が、叔父の残した山奥の小屋に独りで引き籠ったりしないのだ。それでも大金を稼ぐことを止めなかったのは、金よりも、人の秘密が貯まっていくのが、気分がよかったから。昔から俺は、意図せず誰かの秘密を耳にしてしまうことが多かった。それに、普段話さないような相手が、二人きりになると急に自分のことをぺらぺらと語ったりした。秘密というものが差し出される人間として、選ばれているような気がしていた。それが唯一、自分の気に入っているところだった。

 あの日もそうだ。その男は、殺した恋人の死体を埋める為の穴を、俺の山小屋の近所に掘っていた。その最中に出くわしてしまったのが、全ての始まりだった。家の近くに死体が埋まっているのを認識しながら過ごすというのは、どうも気が重かったので、俺は男に「それを窯で焼いてやろうか?」と提案した。叔父が陶芸用に使っていた窯が、小屋の傍に残っていたからだ。50万払うなら焼いて灰にしてやると言ったら、男はすぐさま山を下りていき、その日のうちに現金で50万を持って戻って来た。どうやら金持ちだったらしく、50万で死体が消えるなら安いものだと考えたらしい。それからその男は、三年の内に二回、死体を持ってきた。そして三回目には、自らが死体となってやってきた。最初の客であったその男は、友人に「都合の悪い死体を消してくれる男」の話をした後、その友人に殺され、今度は自分が窯で焼かれることになった。その二人目の客、アマギという男が、「これをもっと大きな商売にしよう」と持ちかけてきたのだ。自分を仲介人にして20%の手数料を払ってくれれば、金持ち相手に大儲けさせてやると言ってきた。俺はよく考えずに、その提案を受け入れた。ちょうどそのとき、車を買い換えたいと考えていたからだ。思えばそれが、俺が今までにした一番高い買い物だったかもしれない。

 最低でも月に五体は死体を処理するようになったので、寝かせた死体が二体入る窯を追加で作った。元々あった窯には、折り畳んだ死体一体を入れるのが精一杯だったからだ。作業するときは、レインコートを着てゴーグルをし、マスクも手袋も二重にした。焼く前に、秘密の素になるようなものがないか、死体をくまなくチェックするからだ。灰にした骨は川に流したり山に撒いたりした。作業中にどうしても猫背になりがちなせいか、人を焼くようになって、呪いでもかけられたようにどんどん背中が丸くなった。そのときはまだ三十代前半だったが、窓に映ったレインコート姿の自分は、まるで年老いた魔法使いのようだった。

 現金払いされる報酬の収納場所にいよいよ困ってきた頃、その死体はやってきた。麻袋を運んできたスーツの男は酷く顔色が悪く、あからさまに怯えていたが、必死で平静を装っていた。そもそも臆病でなかったら、殺人なんて考えないのだろう。

「アマギがなんて言ったのか知らないけど、これは通常の二倍以上の金額だよ」

 金を受け取ってから、俺はいちよう親切で教えてやった。

「依頼主の好意だ」

「ああ、あんたは実行犯な訳ね。で、なんでこいつ殺されたの?」

 俺は麻袋を見て言った。「殺人の理由を提示する」というのが、俺が仕事を受ける条件だった。

「政治家と寝てたからだ」

「政治家・・・全然面白くないな。くだらない」

 俺はがっかりして、曲がった背中を上下させた。

「くだらないのはこいつだ。価値のない人間だった。いない方が世の中の為になる」

「・・・あんたもこいつを知ってたんだね。嫌ってたんだ?」

「クズを好きな人間なんていないだろ。さっさと金額に見合った仕事をしろよ」

「ご希望なら処理が終わるまで確認していってもらって構わないけど、どうする?」

 その質問に、スーツはまさにクズを見る目で俺を見てから、無言で山を下りていった。

 俺にとって秘密とは貯め込むものだから、万が一にも、俺から奴らの所業がバレることはない。しかしそれを知らない依頼主たちにとって、俺の存在は救いでありながら最も疎ましいもの、「触らぬ神」だった。

「そこらじゅう人殺しだらけだな」

 そう呟いて、スーツが持ってきた麻袋を開けた。中からは細身の男の死体が出てきた。いつもしていたことだが、まず死体の画像を撮った。その死体は、焦点の合わない笑みを湛えていた。俺はその表情に目を釣られたように、実物の死体を凝視した。額に滲んだ血が、その肌の白さをより引き立てていた。薄茶色の瞳も、筋の通った鼻も、薄く形の整った唇も、全てが陶器でできているようだった。

「これは美しいな・・・」

 その言葉に、死体が笑った。ような気がした、瞬間、今度はその口が開いた。

「よく言われる」

 それが、カナタとの出会いだった。

 カナタの額の傷は、それ程深いものではなかった。たまに診てもらう医者から10センチ1万で買って家に常備している医療用の糸で縫ってやると、一週間程で塞がった。生え際に近かったし、傷跡もそれ程目立たなかった。

「僕を殺したあの人ね、客だった政治家の部下なんだ。あの人、僕が嫌いだったんだよね。邪魔だったみたい。奥さんにも気づかれてたみたいだから、二人で組んでたのかな。まぁ、相手が大八木充だし、「男娼を買ってた」なんてスキャンダル一発アウトだもんね」

 カナタは俺のベッドで俺の剥いてやった林檎をかじりながら、他人事のようにそう言った。

「大八木充って有名なのか?」

「・・・知らないの?」

「揚げ足の取り合いで稼いでるような奴らに興味ないからな」

 俺がそう言うと、カナタは見たこともない綺麗な苦笑いをした。その大八木という政治家の妻も同じく政治家で、今回の件は、旦那の趣味に嫌気がさしてお灸を据えたということのようだった。秘密の悪趣味がバレないよう身内で対処したのが、カナタにとっては幸運だった。あのスーツはカナタを凶器で殴った後、とっさに息を止めて死んだフリをしたカナタを、脈も確認せずに麻袋に詰めてしまったのだ。きっと、死体というものを見るのが耐えられなかったのだろう。

「大八木さん、大丈夫かな。僕の代わりが早く見つかるといいけど。あ、でもまた殺されちゃうか」

「あんた、自分のことはどうでもいいのか?」

「僕の方が全然、どうでもいいでしょ。お兄さんは、どうして僕を助けてくれたの?僕、お礼に相手をすればいい?」

「そいうのは・・・興味ない。ただ、もったいなかっただけだ。あんたみたいな美しい人間は見たことがないから」

 カナタはそう言った俺を観察するように見てから、ベッドの上で正座した。

「僕、料理以外の家事は出来るんだけど、料理もこれから勉強する。仕事も手伝う。ここに置いてもらえる分、働くから・・・駄目ですか?」

 申し訳なさそうなその表情すら、美しかった。この人間の他の表情は、どんな風に綺麗なのか?それを見ているのは、悪くないと思った。そうして俺は、死んだ秘密ではなく、生きた秘密を貯め込むことになった。

 カナタに父親はおらず、母親は恋愛にしか金を使えない人間だったらしい。中学を卒業してから働き始めたが、稼ぐ金を全部母親にとられてしまうので馬鹿馬鹿しくなり、十七のときに有り金を持って家を出た。その金が尽きるまで生きていればいいかと思い夜の街を歩いていると、女に声をかけられた。その女はアパレル会社の社長で、それが初めての客になった。それから様々な金持ちの相手をし、ホテル生活の末、都心から少し離れた場所にある家賃月7万の部屋を借りた。一人暮らしが出来るようになってからは、月に二、三回だけ仕事することにした。それだけで、食べていくには十分だったらしい。客からことあるごとにプレゼントをされたので、自分で高級品を買う必要もなく、普段はTシャツやスウェットを着回し、近所のスーパーで売っている安くて旨い惣菜を食べて暮らしていたという。友達はいないのか?と訊くと、「お金がかかるから、仕事以外では人と関わらないようにしていた」と言った。そのとき、カナタは少し、自分に似ているのではないかと思った。現に、自分が他人と住むなんて想像すらしなかったのに、カナタとの暮らしには全く違和感がなく、いたって平和だった。カナタも、この暮らしに満足しているように見えた。仕事を手伝わせることはなかったが、魚釣りや山菜取りや薪割、何をするにも楽しそうに見えた。

「ああ、僕、幸せなんだ」

 ある夜、俺の作ってやったベッドに入りながら、カナタはそう呟いた。

「コウジさんのおかげで、夢見てた暮らしをしてるから。誰も共感してくれなかったけど、やっぱりお金を稼いだり使ったりしなくていいって、本当に幸せ」

「金持ち相手にそんなこと言ったら、馬鹿にされただろ?」

 自分のベッドに入りながら俺がそう言うと、カナタは可笑しそうに笑った。

「されて?何か作用する?気にしたことある?」

「・・・ないな」

「でも、気にしなくても、世間と縁を切らないと、ただ生きてただ死ぬって出来ないんだね。僕、母親にどれだけ殴られてもやり返さなかったし、これでも、なるべく人に迷惑かけないようにしてたんだよ。この姿のおかげで好意はたくさんもらったけど、自分の為に人を利用したこともなかったし。それに、僕は人を殺さない。けどさ、生きている価値があるのは、僕よりも、僕を買ったり殺したりした人たちの方なんだよね」

 カナタが死体を焼く男と平気で暮らせたのは、自分という存在を認められない人間だったからだ。傷つけるのは良くないと知っても、人を、主に自分を大切にする方法がわからない。俺はきっと人を傷つけることができるが、少なくとも善意と悪意は違う色に見える。けれどカナタにとっては、何もかもぼやけたままだったのかもしれない。

「俺にとっては、あんたはただ、いてくれるだけで十分だ」

 そのときそう言って、俺は布団を被ってしまった。何でもいいから、もっと何か言えばよかったのだろうか。あれは、重要な瞬間だったのかもしれない。でもやっぱり俺は俺でしかなかったし、カナタもカナタでしかあり得なかった。それなら今この瞬間を迎えることは、生まれる前から決まっていたのだろうか。

 カナタを小屋へ連れて帰ってから、大きい方の窯に、カナタと一緒に2億程の金を入れた。薪に火をつけてから、自分も窯へ入った。カナタはやっぱり今までで一番美しかったけれど、それを目にしてわかったのは、俺が見ていたかったのが、その姿ではないということだ。俺は俺の一番大切な秘密を、人生最高の贅沢で守り抜いた。