小説

『きみょうなしごと』くろいわゆうり(『「判決」「流刑地にて」「城」』)

 

 

(1)

 モロがこのスーパーを訪れたのは7年ぶりだった。隣接していたTSUTAYAがなくなって店舗がいっきに拡張していた。3000台近く収容の駐車場。10万㎡の広大な店舗エリア。ゴシック建築を応用した西洋的な趣の外観。スーパーというよりはショッピングモール。ショッピングモールというよりは茫洋な城だった。ただ、「スーパー○○」という屋号なのだからスーパーと呼ばないと失礼にあたるだろう。

 フェスティバルとは無縁のただの平日だというのに、店内はたいへんな賑わいだった。近隣住民はもちろん、遠方からの客も多かった。そして、その賑やかさは人の量だけが理由ではなかった。店内BGM―KING GNUやYOASOBIなどの令和のヒット曲が大音量で流れていた。子供らは大声で歌っていた。歌詞は合っていたり、間違っていた。間違えるときは「少し」ではなく「大きく」間違っていた。本当にデタラメで、人によっては不快感をいだいた。中には発狂して近隣の精神病院へそのまま運ばれるものもいた。無自覚な暴力をふるう性分こそ子供なのだ。こういった田舎では、とくにそれは顕著だろう。

 とそのとき、米津玄師の「感電」が流れはじめた。この曲の歌詞はボリス・ヴィアンを意識している箇所があるとモロは思う。このうんちくを同僚のクロエエリカに話したことがあった。これといった反応はなかった。以前SNSでエリカが「米津好き」だと投稿していたからそういう話題をふったのだが、エリカは実はさほど米津が好きではなかった。エリカが「本当に好きなもの」をモロは知らなかった。会えばいつも話すのだが、モロがエリカのなにかを本質的にとらえることはなかった。おうおうにして他者と嚙みあわないことがあるという自覚がモロにはあった。他者がもっているなにかしらの心理がないような気がした。

 それは家庭環境が起因しているとモロは思う。学のある両親のもとそれなりの教養は育まれたが、温かい家庭ではなかった。父のせいであるし、母のせいでもあった。モロが都会にでて、そうとうな時間が経ち、当時の記憶はおぼろげだ。しかし、たまに当時の冷えた記憶を思いだし、肺が睡蓮となってしぼむような感覚におそわれた。

 とはいえ、モロは冷えたものが嫌いではない。身体のなかにだって好んでいれる。今も、ハーゲンダッツのパックが手にあった。昔は帰省するたび母親が用意してくれていた。今は、アイスは健康に悪いと母親は言う。アイスは健康に良くはないがそこまで悪いものではないとモロは思う。


 レジに向かうと、長蛇の列だった。クレジットカードや電子マネーに対応しておらず、子供や老人が財布から現金をとりだすのに難儀して、列はいっこうに縮まることをしらない。なかには最初から金をだす気がない者もいた。混乱をたのしんでいるようだ。

 「判決、死刑!」モロは叫んだ。喧騒にそれはかき消された。踵をかえし、店内をまたうろついた。1パック400円でイチゴが売られていた。都会だとこの倍はした。モロは柱のかげに置かれたイチゴの出荷時に使用された段ボールを蹴りとばした。イチゴごときがデカい顔するな!とモロは思う。

 モロの横には娘を連れた母親がいた。なんの躊躇もなく5パック買い物カゴにいれた。娘は泣いて喜んでいるようにみえた。しかしよくみると、娘のそれは漠とした苦い涙だった。

 「嫌いなものは克服しなきゃ!」つづけて母親はそう娘のほうをみて叫んだ。それから、これが田舎の奔放な教育だといわんばかりに、パックのフィルムをはがして3、4個一気に娘の口に突っ込んだ。娘の口から嗚咽まじりに吐きだされたそれはスイーツらしからぬ泥状で床にひろがった。ただ、こういった内輪揉めも店内BGMでかき消され、まわりからすれば幸せな親子の一端にうつった。いや、当事者の二人にとってはこれが幸福なのかもしれないとモロは思う。勝手にいろいろ決めつけてはいけない。

 そんなことよりも、最近はアイスと同様にフルーツも食卓になくなったとモロは思う。甘味全般が悪だと母親はとらえているのだろう。健康志向なのかはわからない。なんせ、この日の朝食は唐揚げだった。幼少のころから、母親の作る唐揚げは、無味だった。その食感は独特でネトッとしていて、餅になりきれない米のようだった。

 母親は無言で唐揚げが盛られた皿をテーブルにおいた。モロは、正面の壁に飾られたマティスの絵画に目をやった。胸のあたりが赤く炎上した黒い影の人間が落下している作品だ。父親の趣味であり、母親の趣味でもあった。

 モロが唐揚げをおおきく頬張ると、カリッと軽快な音がした。ガーリックや醤油の豊潤な、または強烈な香りが口内をみたした。唾液があふれ口の中が喜んでいるのがわかった。下味をつける際よく揉みほぐされたのだろう、肉の奥までしっかりと味が浸透していた。噛めば噛むほど旨味がました。また、隠し味のレモンが粋なアクセントになっていた。モロはほぼなくなった唐揚げをみつめた。あふれた肉汁が箸先から皿にしたたりおちた。のこりはご飯と一緒にたいらげた。この瞬間を噛みしめるように、舌で唇まわりの油をたんねんにぬぐった。なにかしらの唐揚げコンクールに出品すれば金賞をとれそうだった。

 ただ、偉大なる唐揚げの誕生にたいして諸手をあげ喜んでいられなかった。モロ家のスタンダートからはおおきく逸脱していた。あきらかに不審だった。「そういえば」と話を切りだしたのは母親のほうだった。

 「あんた、ムラタ君覚えてる?」
 「え、誰? タムラなら知ってるけど」
 「中学のころ同じクラスだった」
 「ムラタ…ああ! 【ゲオ】!」
 「え、【ゲロ】!? いじめられてたんだね。かわいそうに」
 「【ゲオ】だよ! みんなTSUTAYA派だったのに、ムラタだけ【ゲオ】が好きだったから」
 「まあ紛らわしい。その【ゲオ】君が自殺したらしいのよ」
 「マジか…。そういうタイプじゃなかったのになあ…。たしか生徒会長やってたし」
 「まだ若いのにねえ」
 母親は唐揚げを頬張りながら言う。味への言及はない。
 「何歳だっけ?」
 「あんたと同じ年でしょ! 同級生だよ」
 「ああそうか!」
 「あんたは昔から抜けてるとこがあるね!」
 二人は笑いあった。なんだか乾いていた。

 「【ゲオ】君のお父さんは下のスーパーで働いてるから。あんた後で挨拶しにいきなさい」と母親は言うと、「あんたこそ痩せすぎて死にそうだから」と言葉をたして、唐揚げの皿をモロの前に差しだした。
 「これ美味しいけど、そんなにいっぱい食べられないよ」とモロがそれを押しかえすと、母親は強い力でそれをとどめた。太い腕から活きた血管が浮きでていた。
 「こんなのアイスよりも毒だろ!」モロは激怒して、皿を横にはじいた。いくつか唐揚げがテーブルから転げおちた。
 「それにこんな唐揚げはおふくろらしくない!もっと淡白な感じが伝統だろ!」
 「それは普通の唐揚げじゃないの」
 「だから、うちの普通じゃないだろ!」
 「あいかわらず勘の悪い子だね」その唐揚げを食べれば健康になれるの。とそれから、母親は皿の手前にあるコップを指さした。


「ここに入ってる水と唐揚げ、どっちが健康に良いと思う?」
「そりゃ水だろ」
「じゃあ、摂取すると健康になれると言われたら、どっちの方が驚く?」
「そりゃ唐揚げだろ」
「じゃあ、うちの伝統とニューカマーの唐揚げ、健康になれると言われたら、どっちの方が驚く?」
「そりゃニューカマーだろ。伝統の唐揚げは健康には良さそうだったから。まったく美味しくなかったけど」
「そういうことです」
 母親は皿をとりあげラップに包んで冷蔵庫にいれた。次に、床に落ちた唐揚げをごみ箱に放ると、そのまま自室にはいった。母親とこれだけの会話のラリーをしたのは15年ぶりぐらいだった。それでも、モロはこの家に招き入れられた感覚はなかった。


(2)

 「お久しぶりです!」ハーゲンダッツとイチゴのパックを携えたモロは元気な声で挨拶した。ただ、別に元気にいきたかったわけではない。
 「おお、モロさんの息子さん。随分大きくなりましたね!」ムラタ父は口元をゆるめ、手入れのいきとどいた真っ白な歯をのぞかせた。
 「この度はご愁傷様です」モロは伏し目がち。そういう感じを装った。必要とあらば胸のまえで十字を切る所存だった。
 「いえいえ。仕方ないことです」その口調は明るいわけではなかったが、やけにくだけたトーン。
 「ムラタ君はいじめられてる同級生を庇ったり正義感に溢れた人でした。僕の生涯のあこがれでした」
 「それはどうも。最近、会う人会う人に息子を褒められます。まあ、息子に伝える手段はないので困ってしまいますが…。それにしても、あの正義感はどうやって育まれたのでしょうか?」

 おもわぬ質問にモロはたじろいだ。実際に3歩後退した。あと1歩で壁から突きだした棺桶を模した形状の、無数の鋭い刺をつけた器具の餌食になっていた。


 「そんな息子に育てた覚えは私にはないんです。ああいう正義感、誠実さみたいなものが結局、自分の首を絞めることになるんです」ムラタ父は冷静な口調だったが、その表情はどんどん強張りひどく酔ったような真っ赤な色にそまった。
 「だとしたら、彼のそれは先天的なものだったんでしょう」2歩進み安全圏を獲得してからモロは答えた。
 「なるほど。だとしたら仕方ないですね。子育ての限界です。・・・お子さんは?
 「まだいないです。そもそも相手を見つけるところからはじめないと」とモロは苦笑しながら、まわりを念入りにみわたした。

 エスカレーター横のスペース一帯が、ムラタ父の「店舗」らしいーマッサージ機が10台ほど円形に並べられていた。漆黒の革製、中身の配線が丸見えのスケルトンなど見た目がそれぞれ異なっていた。また、その形状もー全身の筋肉、首や肩など、ほぐす部位に最適化された形だった。それぞれに個性があった。ナンバー1でありオンリー1。その様は「アーサー王物語」に登場する円卓の騎士の壮観さがあった。

 モロの左手にある機器には老人が寝そべっていた。至福の表情、軽快なアロハシャツと半パン、そこに麦藁帽なんて被ってまるでサマービーチのムード…すると突然、老人が上体を起こした。

 「〇×〇▽★☆!」と声にならない声をあげたかと思うと、再びシートにたおれた。頭は背もたれの深くにめりこみ、両手はだらり垂れさがり、しぼんだ風船のように一気に身体の厚みがなくなった。見開かれた目は虚空をただよっていた。

 「おっと!」

 するとムラタ父は走って駆けより、慣れた手つきで老人に真っ黒な布をかぶせた。それから、一緒についてきたモロを手でせいした。

 「あんまり近づかないで。まだ施術は続いています」
 「あ、すいません。それにしても繁盛してますね」
 「毎日人が絶えません。ひとえにモロ君のお母さんのおかげ。【マッサー自死】なんてアイディア、私には絶対に浮かばないですから」
 「母親にそんな才覚があったなんて知りませんでした」
 「ある日覚醒した、と前に言っていました。それまでは道徳とか倫理に縛られていた、と。芸術家のように自由になるべきだと気づいた、と。まあそうやってマインドを変えたところで、実際にアイディアが浮かんだり、行動を起こせる人は稀なんですが」すると、モロは大きくため息をもらした。

 「僕も本当はそういうイノベーターを目指して都会に行ったんです。D2C、OEM、CEOとか毎日言ったりして。それがさしも母親に先を越されるとは!死のうかな…まだ早いですよねハハハ」

 「いや、最近は都会からくる若者も多いです。井上陽水が言っていた通り・・・」ある機器には、顔は布で隠れているものの、一切の皺がなく青白い、美しい陶器のような手がみえた。
 「そういえば、あそこの拷問器具のような危ない代物はなんですか? 先ほどあやうく串刺しになりそうでした・・・」
 「あれですか。痛みを味わって死にたい人もいるんです。生きることが苦痛だったので、死ぬときも苦痛でありたいらしいです」
 「奇人、変人もいますねハハハ!」彼の背後で「お茶でも飲んでいきませんか!」と呼びとめるムラタ父の声がしたが、モロは急いで売り場にもどった。 そして、モロはいまだ会計をできていない。(了)