小説

『誰なんだよ』芬蘭蓮(すおみるんめ)(『大脳手術』(海野十三))

 

 

 違和感はすぐに消えると執刀医は僕に言った。その通りだった。新しい脚は股関節にしっかりくっついて、感覚もあるし、歩けるし座れる。免疫抑制剤のおかげで一生涯拒絶反応も起きないそうだ。ただ、やはり、安物の足は見た目も値段相応だな。

 「沢田さん、いかがですか。」

執刀医であり、このラボの運営者である樺沢医師が病室に入って来た。

 「良好です。元の脚に比べると美観が少々劣りますが。」

 「持ち主が不健康な生活してましたからね。だから値段もそれなりで。」

 「背に腹は代えられません。代金は元の脚の売却金から差し引いてくれましたよね。」

 「ええ、あなたの元の脚が三千万で移植した脚が八百万、二千二百万を指定の口座に振り込み済みです。」

 「しかも、2日で退院できるなんて。ありがとうございます。」

 このラボを紹介してくれたのは恋人の順子だった。

 「痛くないのよ。最新技術であっという間にロボット手術でね。血管も神経も、切り口も移植する相手の大きさにあっという間に合わせてささっと繋ぐんですって。しかも、売買だから、自分のを売って、誰かのを買って、お値段は差し引きで計算。悪くないでしょ。」

 何のことかというと、身体のパーツを売ってお金を稼ぎ、それよりも安く誰かのパーツを買って移植する。そんなラボがあるというのだ。今すぐにでも金が必要、という人たちの間で重宝しているらしい。

 「それ、闇商売だろ?大丈夫じゃない気がする。」

僕は順子の話にはのりたくなかった。まず、僕はこの身体がちょっと自慢なのだ。スポーツで鍛えた体脂肪率8パーセント、真っすぐで長く艶のある肌質の手足、三十代前半で血行もよく健康体だ。食生活にも気をつかってきた努力の賜物がこのボディ。

 「あなたのその素敵な脚なら3千万はするわよ。一千万くらいの脚に挿げ替えてもらえば

2人で世界一周旅行に行けるじゃない。私たちの、新婚旅行。」

 新婚旅行、そうか、順子は僕と結婚してくれるんだ。僕は順子を愛している。結婚してこの先ずっと一緒にいられるなら・・・。

 それがおとといの話だった。順子に言われた住所には「迎春館」の看板。高層ビルの地下だった。順子の言った通りあっという間に最新鋭の、(といっても手術機械には全く無知なので最新鋭かどうかは知らないが、)施設設備の医療施設で、僕の脚は売り飛ばされてどこかの誰かの下半身になった。すぐに僕には不格好でざらざらした浅黒い肌の短い脚が接合された。履いてきたズボンの裾上げが必要じゃないか・・・なんてこった。

 スマホが鳴った。親友の鳴海だ。

「もしもし、退院したのか。大丈夫なのか。」

「大丈夫だ。痛みもなく、歩ける。ただ、見た目は劣る。」

「お前の体調も心配だが、その迎春館が大丈夫なのかって。」

「それは・・わからない。でも医療技術は確かだ。」

「そもそも人体パーツに値段つけて、売買するって、法に触れてないのか。」

「何の法律に触れるんだよ。知らないよ。めんどうだから調べたくない。」

「法律というか、俺は倫理的にどうなのかが一番気がかりだ。」

鳴海の心配ももっともだ。法律のことも倫理的にも。しかし、今の僕は順子との世界一周旅行のこと、結婚のことが最優先課題だ。

「何とかなる。何とかならないときは仕方ない。また連絡するよ。」

 そう言って僕はスマホを閉じた。何とかなる自信はなかったが。


 世界一周は3か月という長旅だった。世界各地の珍しい食、酒、エキゾチックな街並み、飛行機のファーストクラスも使ったし、客船のスイートルームも使った。あっという間に金はなくなった。しかも、順子は直前になって

 「入籍は後でもいいじゃない。婚前旅行にしましょう。」

 それでも僕は承諾した。順子を愛しているからだ。そして、信じているから。

帰国後、僕の口座には五十万がかろうじて残った。そして、よくある展開だが、順子が消えた。あるある展開じゃないか。いや、だめだ、あるある展開で終わらせたくはない。

 鳴海から着信があった。

「お帰り、旅はどうだった?」

「金はほとんど使った。そして、順子が消えた。どこにもいない。マンションにもいない。」

「SNSで連絡したか。電話は?メールは?」

「電話番号は使われてない、メアドもメールが届かない、SNSも友達から消えた。」

「だから言ったこっちゃない。おい、もしかして、その迎春館の医師と順子はつるんでるんじゃないのか。」

気が動転しているので、なんでも悪い方に考えるし、悪い方を信じてしまう心理状態だった

ようだ。鳴海の電話を急いで切り、短くなった脚で迎春館に向かった。まだラボはちゃんとあった。僕の執刀医は、たまたまロビーで女性に対応していた。順子?僕はつかつかと歩み寄り彼女の肩をつかんでこちらに振り向かせた。女性は「キャッ」と悲鳴を上げた。

 別人だ。ふと、すらりとした長い脚が目に入った。アスリートなのだろうか。

「沢田さんじゃないですか、どうしましたか。」

「先生、すみません。取り乱していて。あなたにも、ごめんなさい、驚かせて。」

女性は当然だが怒って僕に何やら文句を浴びせたが、何を言ったか覚えてない。医師がその場をとりなして女性は帰って行った。

「先生、下田順子という女性を知りませんか。僕の婚約者です。消えたんです。」

「そういう人はうちの患者にはいません。いたとしても個人情報は言えません。」

「そうじゃなくて、個人的に知り合いですかって!」

僕は語気が荒くなった。しかし執刀医は冷静だ。

「個人的にも知りませんよ。何かお困りのようですね。」

「はい、婚前旅行で脚を売った金も使い果たしたのに、彼女が失踪して・・・。」

僕は泣き出した。実際、あの金だけじゃ足りなくて、見栄を張って借金もしてしまったのだ。

「・・沢田さん、あなたいい腕してますよね。今ちょうど轢死した若者の腕があって、早く誰かにあげないと鮮度が落ちる。そして、一千万で腕を買いたいという人もいてですね。」

 精神状態が最悪なので、思考回路も混乱し、気づいたら病室にいた。ひょろひょろして頼りない腕が僕の両肩にくっつけられていた。三角トレードされた僕の腕、今は誰のものなのか。脚も腕も他人の身体になった。しかし、轢死体の腕は無料でいいという医師の厚意で、僕は借金を返すことができた。


 それから僕は順子を血眼で探した。毎日のように、彼女が行きそうな場所を訪ね歩いたし、探偵にも依頼した。あっという間に金が底をついた。金が底をつくたび、迎春館に行って

自分のパーツを売りさばいた。鳴海はちょくちょく心配して電話をくれた。

「おい、沢田。体の調子はどうだ。術後の違和感はないか。」

「体の調子、そういわれても、もうこれが俺の体かどうかわからなくなった。」

「なんだって、そんなに売ってしまったのか。」

「両脚、両腕、この間は耳を売った。頭皮と頭髪も売った。もちろんすげかえてもらっている。俺は今白髪頭だし、頭頂部が禿げている。安いパーツだから仕方がない。」

「じゃあ、まだ顔面はお前だし、内臓も、首から下、その、男性器まではお前なんだな。」

「そうだ。しかし、医師によると、内臓も売買して、入れ替えてもらえるそうだし、イチモツも交換できるそうだ。それはいい値段になるらしい、俺のは若いから。」

「で、順子さんの手掛かりはあったのか。」

「ない、お前、何か知らないか。」

「あるわけない、だって、お前、俺に順子さんを紹介してないだろ。顔も知らん。」

 そうだった。順子は美人だから、誰にも見せたくなかったのだ。取られたら大変だとか考えて。

 「ただ・・・。」と鳴海が続けた。

 「実は、迎春館、気になったから俺も行ってみた。」

 「なんだって、何しに行ったんだ。」

 「内緒にしていたが、俺は本当は心は女なんだ。性転換というか、女の身体に交換してもらっている。お前の話を聞いて施術は問題ないと確信した。」

 なんということだ。鳴海までもが。

 「今度会おう、俺、というか、私、もうずいぶん見た目が変わったのよ。」

 嘘だろ。でも真相を確かめたい。

「鳴海、信じられない。会ってみないと信じられん。いつ会える?」

「あさって顔を取り替えることにした。だから来週でどうかしら。」

「わかった。実は僕も明日、顔を売り飛ばす予約をしている。金が尽きたから、もう仕方がない。」

 次の日僕は芸春館に向かった。医師はすでに手術の準備を整えて僕を待っていた。誰がぼくの顔を買ったのだろう。同じ町の誰かなら、僕の顔にいつかすれ違うのだな。複雑な気持ちだ。麻酔が効いて、記憶がなくなった。

 新しい顔、正確には新しくない中古リサイクル顔面は、そこそこの器量だった。年齢も近い誰かのものだったらしいが、白髪頭で禿げているので年齢不詳で怪しくなった。鏡に映る僕は、もはや誰なんだよ。脳は僕、内臓もいまのところ僕だが。

鳴海との待ち合わせ場所に向かいながら電話をした。特徴を言わないとお互いに識別できない。

 「もしもし、僕だ。今は白髪で禿げがあり、顔が若い。青いパーカーに白いチノパン、

わかりやすいように赤いスニーカーを履いている。もうすぐ着く。」

 「沢田、あたしは、茶髪でボブ、ドット柄のワンピースを着て青いサンダルよ。」

見回すと、それらしい「女性」が奥のテーブルにこちらに背を向けて座っている。間違いない。

 「‥鳴海・・」と後ろから声をかけた。振り向いたその顔を見て鳥肌がたった。

 「じゅ、順子・・・」

それは順子の顔だ。間違いない、順子の。髪型こそ違うし、身長も体格も違うが顔は順子だ。

 「沢田・・?ええ??順子って、この顔??」

 なんということだ。僕はすぐに迎春館へ向かった。医師の部屋へ突入した。運よく誰も患者がいなかった。

「先生!順子の顔を、鳴海にくっつけたんですね。」

「なんと、知られてしまったか。下田順子さん、はい、今は鳴海さんの頭部に顔面が移植されまして・・」

「じゃあ、順子は、順子は今、誰の顔で生きてるんですか。」

「教えてもいいのですが、それには条件が・・。何せ個人情報の開示なので、それ相応の対価が必要です。」

 医師が提示したのは、俺の首から下、男性器まで一切合切を誰かと入れ替えることだった。

精神がほぼ崩壊した僕は、すぐに承諾してしまった。

 目を覚ました僕は、メタボな腹に落胆した。誰なんだよこれ。もはや僕は誰なんだよ。

医師が入って来た。

「お目覚めですか。約束通り、教えましょう。あなたの大切な順子さんは、今、誰の顔で生きているか、いや、誰の身体で生きているか。」

 マスクをした車いすの男性が病室に入って来た。なんだ、この懐かしい感じは、知ってる、この人。。この人。。。マスクを取ったその顔は、

 「・・僕・・?」

 「久しぶり、順子だよ。順子だった、って言おうかな。」

 僕の声、僕の耳、僕のあのすらりとした筋肉質だけどスマートな脚、ほどよく鍛えた長い腕、何より僕の顔。声が出なくなった僕に彼女、いや、彼?が話し始める。

 「沢田君、あなたを愛していたのは本当。心の底から好きだった。好きで好きでたまらなくて、あなたと永遠に一緒にいたいと思った。でも、人はいつか死んで離れ離れ。それを想像したら怖くてたまらなかった。じゃあ、私があなたになれば、いつまでも一緒よね。あなたになりたかったの。今、私の全身はあなたのパーツ。脳以外はね。これで私はあなたと一生添い遂げられる。結婚って書類よね。でも、あなたのパーツをもらって、あなたの身体で生きていくのは書類よりも強い絆よ。私の顔が巡り巡ってあなたの友だちに移植されたのは知らなかったわ。そうでなければ、ばれなかったかもしれないのに。この間まで仮の顔で生きていたの。あなたの顔を待ちながら。そう、あの日、私の肩をつかんだでしょ、覚えてる?」

 思い出した、あのすらりとした脚、あれは僕の・・・。

「ねえ、沢田君、こうなったら、鳴海さんと脳を取り替えたら・・?私の顔なんでしょ?

どう?」

                                 終わり