小説

『呪いの解き方』はそやm(はそやん)(『たにし長者』)

 

 

アパート横に流れる小川で親子がメダカを探していたのが、ことの始まりだった。心地良い天気に誘われて散歩に出たのだが目的もなかったため、ぼぅっとその様子を見ていると「要りますか?」と声をかけられた。


素直に数匹のメダカを受け取り家で水槽に放してみると、たにしが混じっていた。たにしは水槽を綺麗にすると聞いたことがあり、そのままにしておく。


小さなメダカでも生き物と暮らすのは心安らぐ。仕事から帰って来ると真っ先にメダカに声をかけ餌を与えるのが、私の唯一の楽しみとなっていた。たにしにも情がわき、その日にあったことを自然と話しかけている自分に気づく。


小さい頃から変わらないな、私。


私は子どもの頃より、夢見がちな性格で人間以外のものの感情に寄り添い過ぎたため、周囲から浮いた存在として過ごしていた。社会人となってからは、仕事以外で接点を持たないため生きるのに苦痛を感じることは少なくなっていはいたが、学校での集団行動は本当に辛かった。子どもは時に残虐で小さい生き物をいたぶることがあったからだ。クラスで飼いたいと言い出した子は、必ずと言っていいほど途中で飼育に飽る。結局、生き物係でもない自分が最後まで面倒を見ていた。


人間よりも動物を優先するため、陰口やいじめにもあったので友達も欲しいと思ったことはない。自分の気持ちを誰にも伝えられない人間として生きてはいたが、話し相手は欲しかったようだ。顔を近づけるとパッと逃げるメダカとは違い、たにしは動かない。いつしか話し相手として、たにしに接するようになっていた。


「そんなに辛いなら俺と結婚して故郷で暮らそう」


たにしに突然プロポーズされたのには本当に驚いた。人間以外の生き物から話しかけられたのは初めてだし、それもプロポーズ。驚かない人間なんていないだろう。


「俺とお前は一緒になる運命だ」

「運命?」

「そう運命!」


たにしからの求婚が当たり前のことのように感じ始め、すぐに退職の手続きを取り、たにしの故郷へと旅立った。


 たにしは、ここから少し離れた村の出身だった。村というだけあり水田の広がるのどかな田園地帯だが、自然農法で作る米は大変美味しいと評判で全国でも裕福な村として有名なところだ。財力があり県や国に頼ることなく生活ができており、地方自治体のお手本のような存在としてこれまでも多くの取材を受けていた。


住人の気質もおだやかで現代のユートピアとSNSでも紹介されたこともある。冗談で妖精もしくは妖怪がいるなどともささやかれることもある村だが、それは氏神様を中心に独特の文化を何百年も守ってきたことが起因しているらしい。


たにしとの移動のため、水槽を抱えて列車に乗りこむ。村に着くまでの間、少し気になることをたにしに聞いてみた。


「あなたのご両親もたにし?」

「いや、両親は人間だよ。なぜ?」

「妖怪伝説がある村だから、たにしも住民登録されているのかと思って」

「……。もし俺の親がたにしだったら?」

「実家も田んぼの中か川だろうから私、どこで寝たらいいかなと思って。人間なら家の中で寝られるわね。良かった」


私の安心のしどころが余程おかしかったのだろう。たにしは大きな声で笑い、私もつられて笑った。一緒に笑う相手がいるということがこんなに楽しいだなんて。これから先のたにしと歩む人生に思いを馳せると幸福な気持ちでいっぱいになった。


車内でこのような会話をして奇異な目でみられるのでは、ひとりで笑う女に見えないか、最初は不安だった。しかし、車内では私が水槽に話しかけても誰も気にしない。途中で乗って来たおばあさんは「あら、坊ちゃん!」と水槽に親し気に話しかけてくるし、たにしも普通に返事をしている。


「あなたは?」と聞かれたので「嫁です」と答えると、あらあらあらあらとうれしそうに笑い、


「坊ちゃん、よろしゅうございましたね。綺麗で気立ての良いお嫁さんじゃないですか」


と返された。たにしは「俺を小さいときから見てくれている人」とぶっきらぼうに紹介する。


「乳母なんです。今でも坊ちゃんのうちで細々としたことを手伝わせていただいております」


と綺麗なお辞儀をされた。


たにしに乳母。私は旧家に嫁いだのだろうか。今更ながら自分が何も知らないことに気づき、不安が広がった。


「嫁に来てくれただけでいい。気にしないで」


不安がたにしにも伝わったのだろう。即座にたにしが優しく声をかける。気配りの出来る素敵なたにし。乳母と紹介されたおばあさんにも微笑まれ、少し気持ちが軽くなった。


駅前のロータリーから乗ったタクシーの運転手も当たり前のように水槽に向かって「坊ちゃん、里帰りですか?」と笑顔で話しかける。


「坊ちゃんがお嫁さんを連れてきたんですよ!」


目を輝かせたおばあさんが先に運転手にいうものだから、たにしは照れる。私もつられて顔が赤くなる。


「そうですか……そいつは良かった」


と感無量の表情をした。たにしを大切に思う気持がここでも伝わり、自然と目頭が熱くなる。


たにしの実家は村の中央に位置する大きな家で、父親は村長だった。格式ある家の息子だったから「坊ちゃん、坊ちゃん」と呼ばれていたのか。この地域は若い男性を「坊ちゃん」と呼ぶのかと思っていたが、本当に「お坊ちゃま」だったので驚いた。


「よく来てくれました」


と私は義父母に迎えられ、たにしは家の水槽へ移された。


村での生活は楽しかった。たにしと夫婦となった私に誰も奇異の目を向けず、見守ってくれている。日々共に暮らすうちに距離も縮まり、たにしを想う気持がどんどん大きくなっていった。水槽の掃除のたびに手のひらにたにしを乗せ、語らう時間が本当に愛おしい。


たにしとの生活に慣れた頃、田植えの季節を迎えた。美田と評される水田は全て手作業で行われるため、田植えは村人総出の最大の行事となる。ニュースにも取り上げられるため、田植えの最中は必ずどこかの局が取材に訪れ、外からの人の出入りも多くなると説明された。


いつも通りに田植えに行こうと家を出ると「こんにちは」と声をかけられ、振り向く。取材で訪れたらしい集団が立っていた。声をかけてきた男性が、


「あ……れ?三好?」


と旧姓で話しかけてきた。


「え?」

「俺だよ俺、小学校で一緒だった」

「……アツシ君?」

「久しぶりだなぁ。なんでここに?」

「この家に嫁いできたの」

「そうか。お前か、たにしと結婚した女性って」


なるほどなぁとつぶやく。


「実は俺、YouTubeで番組やっているんだけど」


とアツシ君が喋り出す。ベラベラと喋るアツシ君を見ていて嫌な気持ちが蘇ってきた。


そうだ、アツシ君ってクラスでも話の中心にいないと気が済まない性格だった。休み時間の遊びに加わらないだけでずいぶんと嫌がらせを受けていたことがフツフツと思い出される。


「田植えで忙しいから」


とその場を離れようとしたとき、肩をつかまれた。


「この村ってさ、人間以外の生き物が話すとか妙な噂があるじゃん?」


俺、怪異特集の番組を作っててさ、それで近くに妖怪伝説のある村があるから取材に来たわけ。良かったわー、知り合いがいて。しかもそれがたにしの嫁だって。笑える。お前、小学校の時も金魚や蚕に話しかけてたよね、人間以外と話してるとたにしとの結婚も平気なわけ?


聞きもしないのにベラベラうるさい。笑ってはいるが底にほのかに悪意を感じ、めまいがしてきた。するとタイミング悪く、後から水槽を抱えて田植えに行こうとする義母が現れた。


「俺の嫁になにをする!」


水槽から突然聞こえてきた声にどよめく。


「え?え?聞こえた?聞こえたよね?水槽から声!」


アツシ君が興奮する。


「この村では田植えの取材しか受けないのですが。どちらの局の方ですか?」


義母が冷静に話すのとは反対にアツシ君達は大いに盛り上がった。


「たにしさ~ん!もうひと声お聞かせ願えませんかぁ。人間との新婚生活ってどんな感じなんですかぁ。おばさんは水槽の中のたにしとどういう関係?」

「し、失礼ですよ」


ぐいぐいと近づくアツシ君に義母が押されよろける。心配になった私がやめて!と側に近寄ろうとしたとき、水槽が義母の手から離れ転がり落ちた。


「あなたぁ!」


慌てて駆け寄るが水槽の中にたにしはいない。水田に落ちたのだ。呆然とする義母。

考えるよりも先に体が動き泥の中へ飛び込む。


「回せ回せ!」


アツシの馬鹿声が聞こえるが構いやしない。夫との幸せな暮らしを絶対に手放したくない思いで必死に泥をまさぐる。


「いた!」


とたにしを掲げるが義母がわっと泣く。


「それは普通のたにし!」


慌てて次のたにしを探す。何回もたにしを義母に確認してもらうが普通のたにしだ。


「おいおい!普通のたにしってなんだよ!」


馬鹿アツシが揶揄する中、義母と二人で抱き合い大声で泣いた。私を認めてくれた唯一の夫。それをこんな形で失うなんて。おいおい泣くうちに義母を支えきれなくなり水田でよろめいた。


ブチッ。

足の裏で殻が割れる音。ハッとして振り向くと背の高い男性が立っていた。


「やった!やったわ!」


義母が大興奮している。


私とアツシ達は突然の出来事に声を失う。


「あなたのお陰よ!ありがとう!」


義母が涙ながらに私に抱きつき礼を言い始めた。


呆然とする私にその男性がニッコリ微笑みながら「ありがとう」と言う。


たにしの声だった。


「この村は美田を約束された代わりに村長宅の男児は、たにしとして生まれる呪いがかけられていて。結婚をする歳に心からたにしを愛してくれる女性に殻を踏まれるとその呪いが解けるとの言い伝えがあった。呪いの解き方を信じていて良かった」

「呪いを解くためには、なにも知らずにたにしを愛してくれる女性が必要だったの。あなたが無事に踏んでくれたお陰で息子は無事人間になれました」

「では、お義母様もお義父様を踏んだんですか?」


私がたずねると私は実の娘なので、たにしで生れなかったと義母が言う。

「私の母も村長の娘として生を受けたため、呪いの解き方は誰も知らなくて。祖母がたにしを踏んだ最後の人間だったので、たにし伝説の真偽を確かめることもできなかったの。この子が村を出て嫁を探しに行くと言ったときには不安だったのだけれど」


本当に良かった、と義母が夫と私を見て安堵の表情を浮かべた。


ヤベーヤベーと撮影していたアツシとその仲間は集まって来た村の人達に捕まり、神社の方へ連れていかれた。

嫁が必死になって夫のたにしを探し、殻を踏み潰すためには心の通じない馬鹿が必要だったので、あえてSNSで妖怪伝説を流し呼び寄せたところ、引っかかったのが馬鹿のアツシ達だったのだそうだ。

心優しい村人は夫が好きすぎてとても嫁の私に酷いことなんてできない、となったらしい。


「あの人達、このことを拡散するんじゃないですか?」


大丈夫、この村には邪気を抜く儀式があって田植えの季節に神社で行われるの。あの人達の邪な心と記憶は全て抜き去ってお帰りいただくからなんの心配もないし、あなたのこともアツシ君には忘れてもらうから、と義母が笑った。


なんの心配もないことはわかったが情報が多すぎて、話についていけない。たにしと思って安心して話していた夫は私より背は高いし、顔もなかなか……。


まともに目を向けられずおどおどしていると、


「人間、まだ苦手か?気持ちは変わるか?」


と心配そうに夫が聞いてきた。


ああ……ずっと聞いてきた声だ。優しく温かい声……。


「変わらない。ずっと好き」


泥だらけのまま夫と抱擁を交わした。