「世の中には2種類の人間しかいない。騙すヤツと、騙されるヤツだ」
人間を2種類に分ける有名な言葉で自分の行為を正当化する言葉のテクニックだ。アメリカのレーガン元大統領は2種類の人間を「できる人間と、批判する人間」に分け、ウッディー・アレンは「善人と悪人」に分けた。最近ではホスト会の帝王と言われているローランドという若者は「俺か、俺以外か」と虚勢を張った。
スマホを持たない私への連絡は固定電話だ。息子は2人いるが殆どかかってくることはない。我が家の電話が鳴るのはセールス電話か詐欺電話だといってもいい。警察から留守番電話にしておくようにと言われているが、新たに手続きするのも面倒なのでそのままにしてある。私には詐欺にかからないという自信があった。詐欺電話と思われるものは今までに5~6回はあったが騙されたことは一度もない。自分の子供の声を聞き間違えるなどあり得ないことだ。若いころから続けてきた剣道と、人を判断する確かさは私の誇りなのだ。
その日「オレだけど」と繰り返し言い続ける男の声はどう考えても20代だった。私の息子は41才と38才で孫もいる。聞き間違えることはないし今までもすぐに見破ってきた。 詐欺も最近は芝居仕立ての凝った設定で騙しているようだが、今回の詐欺師はなんとも古典的な手口だ。「詐欺だろこれ。警察に通報するぞ」と言った私の言葉に男は「どうぞ」と開き直った。電話の向こうで太々しく笑みを浮かべる顔が浮かんだ。
それから暫くしてのことだ。
「父さん? 僕だけど」
今度は「ボク」できた。
「私は詐欺には引っかからん。いい加減に止めなさい!」
「父さん僕だよ、純也!」
詐欺師は次男の名前まで調べてあるようだ。
「この電話はオレオレ詐欺じゃないから。とにかくそっちへ行きます」と電話が切れた。
暫くして玄関に現れたのは次男の純也本人だった。
純也は「離婚することになった」と切り出した。
「で、慰謝料を払わなければならなくなって。少しの間立て替えてくれませんか?」
自分を恥じる様子も見せない。親に離婚の慰謝料を出させるのか、と怒り出した私に「必ず返しますから」と不服そうに言った。 まるで詐欺師の手口のようだ。息子の言葉が詐欺電話の一つと重なる。目の前にいるのは間違いなく息子の純也だ。そこが無性に腹立たしかった。
妻が生きているときは盆と正月には家族で帰って来ていたが、3年前に妻が亡くなり、その後コロナ禍となったこともあり寄りつかなくなっていた。孫たちが難しい年ごろだというのがその理由だ。
突然やって来て金の工面を頼む息子の姿に、地球外生物でも見ているような気持ちだった。こんな息子だったのか。私が気付かなかっただけなのか?
「年金暮らしの親に、借金など頼むんじゃない!」
気づいたら怒鳴りつけていた。生き死にの病気だというのならともかく、離婚の慰謝料というのが、怒りの収めようがないほど腹立たしかった。
「自分で何とかしなさい」と言い捨てた。
詐欺にも引っかからず、息子たちに迷惑をかけることなく暮らしている。息子2人は立派に大学まで出した。それで十分だ。いい大人で子供までいるのに、年金暮らしの親に借金を頼むとは、怪しからん。息子を追い払った後も暫く怒りが収まらなかった。
それから暫くしてことだった。突然訪ねて来たその若者は石飛聡と名乗った。
「すいません、借金の取り立てです」
若者は、3年前に亡くなった妻の友人の石飛圭子さんの孫だと名乗った。もう夏も終わりだというのに派手なアロハシャツを着ている。ちゃらちゃらと軽薄そうな若者だった。手にはレジ袋を提げていた。中には見たことがない変わった飲料水が入っていて、それを頻繁に取り出し飲んでいる。
若者は、短冊の様なものをポケットから取り出した。醤油のシミが付いている箸袋だ。箸袋の裏には「金、1万円お借りします。2019年10月3日冴子」と書いてある。泊まったホテルの食堂の割りばし袋のようだ。石飛は、半年前に亡くなった祖母の遺品整理をしていてこれを見つけたのだと説明した。
覚えがあった。コロナ前、妻は女学校時代の仲良し3人で熱海に1泊2日の旅行に行った。妻が亡くなっている今、確かめるすべがないが特徴のある丸っこい字は妻の字であることに間違いなさそうだ。
1万円は何の借金なのか、と質問した私に興味なさそうに若者は答えた。
「さあ、土産代かなんかじゃないですか?」
そう言えば、あの時私が好きだからとわらび餅を土産に買ってきた。妻は生前から現金を多く持ち歩くのを好まなかった。持っていなければ無駄なものを買わないから、というのが彼女の口癖だった。
土産を買おうと財布を見たら、現金が足りなかったというのもあり得る話だ。
妻が旅行から帰り間もなくしてコロナ禍となった。良い時に行ったと喜んでいたのだ。私たちは少したちの悪い風邪というくらいの認識しかなかった。妻がそのウイルスで命を落とすことになるとは思ってもいなかった。
葬儀は家族だけでおこない石飛圭子さんからは葬儀に参列できず残念だと心のこもった手紙と共に香典が送られてきた。
私は圭子さんが亡くなったことさえ知らなかった。
金額が1万と少額だったこと、旅行に行ったのは事実だったこと、石飛圭子さんは良く知っている妻の友人だったこと等を考え、私は若者に1万円を渡すことにした。
それから、
「これは君のお祖母さんへの香典だ」
借金の返済とは別に1万円を香典袋に入れ渡した。石飛聡は嬉しそうにそれを受け取り、持ってきた飲料水を飲み干すと居間のゴミ箱へ放り投げた。彼が帰ったあと、置いて行ったレジ袋が窓から入ってきた風に舞い部屋の隅まで流れていった。
ところが翌日、石飛聡は一人の男と一緒に再びやって来た。髪はきちんと整えられスーツを着たサラリーマン風の男だ。山下と名乗り、聡とは従妹同士なのだという。
山下は1万円を私の前に差しだし、深々と頭を下げたまま聡の行為を詫びた。
「祖母の石飛圭子が亡くなっている今、真実を確かめようがなく失礼なことをしました」
だが香典はありがたくいただき仏壇に供えさせていただいたと言い、不祝儀の熨斗の付いた箱を差しだした。香典返しだという。
中は高級和菓子の詰合せだった。
そのことがあってから、山下はたびたび我が家へやって来るようになった。私と山下の共通の趣味が剣道だと言うことが分かり、話は盛り上がり続けた。剣道をする若者が少なく、やがてこの国の剣道場は無くなるだろうと山下が嘆く毎に、私も共感した。
この間私は幸せだったのだ。嬉しかった。寄り付かない息子たちよりよほど愛おしく思えた。だから山下が貧しい子どもたちのために、無料で教える剣道場を開きたいと言った時は、資金を出させてくれないかと申し出ていた。
300万円は右から左に用意できる金額ではなかったが、私の葬儀用として用意してある金や、長い間掛けて来た保険の解約などで作ることができた。
そんなとき、次男の純也が再び訪ねて来た。
「何しに来たんだ!」
「そんなに怒らないでよ。悪かったと思ってるんだから」
純也は、離婚の慰謝料の件を詫び、分割で支払うことになったと釈明した。
「おまえ、他に女でもできたのか?」
「ちょっとした出来心だったんだけど、許してもらえなくてね」
情けないヤツだ。それにしても今どきの若いもんは簡単に別れてしまう。
「ところで父さん、詐欺には気を付けてよ」
純也はそう言うと友人の親がだまし取られた話を始めた。最初は少額を借り、その後返しに来る。そうして警戒心を無くさせ親しくなってから大金が必要だという話をする。
「詐欺の典型的なやり方なんだ。心理的にも引っかかりやすいんだって」
私はどきどきした。まさか山下の話は詐欺ではないと思うが、詐欺の手口に似ていた。息子の借金の頼みを断り、怒鳴って追い返したのだ。その私が詐欺師に大金をだまし取られたと知られたら、何と言われるか。
息子に知られたくなかった。
石飛圭子さんは亡くなっていても住んでいた住所は分っている。年賀状を毎年貰っていた。隣の県だ。1日あれば行って戻って来られる。
最寄りの駅前交番で訊いたら丁寧に教えてくれ、簡単に家は見つかった。こんな時年寄りは得なのだ。かみ砕くように親切に説明してくれる。
石飛家は良く手入れされた庭に囲まれていた。家は平屋で古いが日本家屋だ。秋桜が風に揺れている。
「石飛圭子は私ですが」
石飛圭子さんのことでお訊きしたいことがある、と不躾に訊ねた私を彼女はきょとんとした表情で見ていた。目の前の女性は、妻のアルバムの中にある写真の顔と同じだった。
私はやっぱり騙されてしまったようだ。石飛圭子さんが亡くなったことは嘘だと分かった。私は香典を騙し取られたが、嘘で良かったとも思った。
その後の彼女の話で、圭子さんには聡という21歳の孫がいるが、数年前から連絡がとれず音信不通状態なのだと顔を曇らせた。山下と名乗る孫は存在しないと知る。石飛聡と山下は従妹同士などではなかった。
旅行時、冴子が圭子さんから1万円を借りたのは事実で、箸袋の裏に書いたのも事実だった。
「そんなことしなくもいい、って言ったんですよ」
彼女は申し訳なさそうにいい、旅行から帰ってすぐに口座振り込みで返済していただいたとため息をついた。
「律儀で冴ちゃんらしいわ」
箸袋の行方は圭子さんも定かではなかったが、ゴミとして捨てたのだと結論付けた。
山下は自分が完ぺきだと思っている男だ。そう思っている分、傍にいる人間のほころびに気づきにくいのかも知れない。そうなのだ、ほころびは石飛聡から始まるはずだ。隙がなく頭の回転が早い山下に比べ、石飛聡は隙だらけだった。初めて家に来た日、飲料水を入れたコンビニのレジ袋を下げてふらっとやって来た。おそらく小遣い稼ぎにと軽い気持ちでやって来たのだろう。無造作に置いていったレジ袋の中に、レシートが入っていたのだ。
そのコンビニに行ってみた。石飛聡が住んでいるアパートの近くの可能性が高いからだ。私はコンビニで買い物をほとんどしない。石飛が持っていた飲料水は見たことがないものだった。同じものを探し、レジに持って行き刑事のように聞き込みをした。
「それ、毎日1本買いに来る客がいます」
石飛と山下は同じ家に住んでいる可能性が高いのだ。
一度騙された人間は、二度三度と騙され易いのだと聞いたことがある。私からまんまと300万巻き上げた山下から再び連絡がきたのは、それから間もなくのことだった。
「道場のオープン日にご招待するのを楽しみにしている」
そう持ち上げた後、トラブルが起き少し工事が遅れそうだと言った。そのため金が不足しているのだという。私は知ってしまったことをぶちまけたい衝動をぐっと押さえ、騙されたふりを続け追加資金の申し出をすると、明日取りにくることになった。
その日の夜、夢を見た。夢の中の山下は「たかが300万のはした金」と言った。「今にバチが当たるぞ!」と言い返した私を見て笑った。長く、長く、笑い続けた。
目が覚めてからも山下の笑い声が耳に残り続けた。それは私の中の浅はかさや疚しさだけでなく、石飛聡の嘘に乗っかりはしたが剣道場の話は本当なのだと言ってほしかったという私の未練への嘲笑のような気もした。
世の中には2種類の人間しかいない。騙すヤツと、騙されるヤツだ。
まもなく山下がやって来る。再び私から金を騙し取るために。だが私は警察に被害届を提出し、警察官に張り込みをしてもらっている。石飛の持ってきたレシートも警察に提出した。重要な証拠だと思ったからだ。だが警察官はそうとは思っていないようだ。
「これからはそんな危険なことは止めてくださいね」とくぎを刺された。
今日、山下は逮捕される。ざまーみろ、年寄りを甘く見るんじゃない。私は高笑いをした。夢の中の山下のように笑った。笑いながら枯れた涙を流し続けた。