小説

『竜神と機織り姫』わがねいこ(『草枕、竜王権現の滝、機織の滝、二本杉』(静岡県浜松市天竜区佐久間町))

心地良さそうに微笑するナミエの姿を見て、トオルは隣に腰掛けると、同じように目を閉じた。水と風と、そしてナミエの温もりがトオルの皮膚に伝わり、恐ろしさと心地良さで動くことが出来なくなった。いつまでもこのままでいたいような気がしたが、トオルは目を開けた。トオルの気配を感じてナミエも目を開けた。
「もうすっかり夜ね。でも、懐中電灯持ってきてるから安心して。」
ナミエは笑っていたが急に真面目な顔をしてトオルの顔を見つめた。
「ねえ、もし、夜の山道が怖いならこのまま朝までここにいる?」
「子供じゃあるまいし、夜の山道なんて怖くないよ。」
「子供じゃないから言ってるのよ。ねえ、このまま朝までここにいる?」
「もう少ししたら帰ろう。実はここに来たのは二度目なんだ。だから帰り道は何となく覚えたよ。」
「もしかして、昨日機織り姫の滝に行く前にここに寄ってたの?もう写真は撮った?」
「ああ、昨日の午後にね。でも写真は撮ってないよ。」
「どうして?こんなに綺麗なのに。せっかくだから撮りましょうよ。ねえ、もし良かったら滝と一緒に私のことも撮ってよ。」
ナミエは滝の前に立ち、体を軽く捻ってポーズを取った。トオルはカメラを取り出してレンズに滝とナミエを映すが、どうしてもシャッターを押すことが出来なかった。後で消してしまえばいいだけの話なのに、トオルはどうしてもナミエと竜王の滝の写真を撮ることが出来なかった。
「ごめん。どうしても上手く撮ることが出来ないんだ。写真は撮れなくても目には焼き付けたから。もう帰ろう。みんな心配するよ。」
トオルがカメラを鞄にしまうと、ナミエはトオルの側に駆け寄り、腕を掴んだ。
「何よ。私じゃモデルとして不満なの?」
ナミエは悲しい顔を隠すようにトオルに怒った。
「…ナミエさんはとても綺麗だよ。今も初めて会った時の姿が目に焼き付いてる。きっとカメラで撮るよりもずっと綺麗に、鮮明に焼き付いてる。」
ナミエは恥ずかしそうに下を向いた後、裸足で川に入り手で水を掬うとトオルの方に水を掛けた。トオルも川に近づき、ナミエ目掛けて水を掛ける。お互いの髪と服が仄かに水で湿るとナミエが川から上がり、トオルが伸ばした手を掴んだ。二人は無言のまま、吊り橋を渡って帰り道を歩いた。

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