翌朝、ナミエはとても山に行くとは思えないような色鮮やかなワンピースに、大きなリュックを背負って現れた。
「そんな格好で山に入って大丈夫?」
「山道なんて田舎者にとっては散歩道みたいなもんよ。」
トオルはナミエと山道の方へと向かった。途中に農作業をしていた男が声を掛けてきた。
「おい、ナミエ。そんな派手な格好して山に男連れ込むのか?出戻りは気楽でいいよな。この男、見ない顔だな。うちらの仲間じゃお前みたいな気狂い相手にしないもんな。」
男はニヤニヤ笑っていたが、二人は気にせず前に進んだ。
「あいつ、私が出戻ったばかりの時からしつこかったの。不細工で馬鹿の癖に親に泣きついて私に嫁にくるように迫ってきたのよ。あいつと結婚するくらいなら変人扱いされた方が千倍マシ。」
「確かに。あんなにわかりやすく負け惜しみ言うような男、久しぶりに見たよ。」
トオルが笑うとナミエも嬉しそうに笑った。
「ここ、二本木峠っていうの。昔はここに大きな二本の木があって、その木を植えたのは徳川家康かもしれないって言われてるのよ。他にも家康が隠れた井戸があるとか、辺鄙な場所なのにやたら家康の伝説があるの。」
「そういえば、昔この辺りに歴史上の凄い人が来たって聞いたことがあるんだけど、家康だったんだね。」
トオルは記念に峠の写真を撮った。その後もナミエは河童伝説のある川や妖怪の出る山等案内してくれた。大きなリュックには昼食のおにぎりやお茶、虫除けも入っていた。トオルは久しぶりに沢山の写真を撮り、すっかり日は傾いていた。
「最後にとっておきの場所に連れて行くわね。」
トオルは見覚えのある一本橋を渡った。
「ここよ。竜が出る滝。昔は村人の前に姿を現し、願いを聞いたり、物を貸してくれたらしいけど、借りた物を返さない人がいたらしくて、それ以来姿を現さなくなったらしいわ。」
断崖絶壁に囲まれた竜王の滝の白い水飛沫は光を増し、打ち付ける水と風の音は正に竜そのものであった。ナミエは石の上に腰掛けて目を閉じた。
「私、ここが好き。こうしていると、本当に竜に飲み込まれるような、ゾクゾクしてこの世では味わえないような不思議な心地良さに身体中が撫でられるのよ。」