大男が、隣を見つめる。敵対的ではなく、和やかな目で。もう一人の男は、震え出した両足を細い両腕で力強く抱きしめながら言った。
「そんなわけないでしょ。ムカつくことだらけですよ。上司も同期も全員ぶん殴って会社放火してやろうかって思ったこともありますよ」
「何にムカつくんだ?」
「何って、もはや全部ですよ。毎日ノルマに追われて、それだけでも大変なのに、上司には仕事頼まれて断れないし、後輩からも頼み事言われて断れないし、経理からは領収書出せって催促されるし、会議は長いし多いし、会議のための会議もあるし、同期が結婚して育休とったせいでこっちは仕事増えるし有給取りづらいし。先方次第で土日に働くこともあるし、電話だってかかってくるし、上司は「頼むな」だけ言って無責任だし、意味不明な社内ルールも多いし。毎朝朝礼があって、一分間社員の誰かが今の自分の仕事についてスピーチしなきゃいけんですよ? 朝礼だけでもかったるいのに。出張の良いところは、それから逃げられるところくらいですよ。来年出世したら部下のマネージメントもしなきゃいけらしいんですって。おれのからだが一つしかないのわかってないのかな。わかってないんでしょうね」
全身から力が抜けたように、スーツの男は腕を解いて足を伸ばした。パンツの裾と靴下とのあいだの皮膚に、ぬるい風が当たる。
「なんでおれはこんなに喋ってるんでしょうね」
「こんなに喋るのが、珍しいのか?」
「まあ、独身で彼女もいないですし」
「結婚してても、言えない奴は言えないよ」
「たしかにそうですね」
「ま、まだ何も解決はしてないけどな」
「解決なんてできませんよ。宝くじでも当たらない限り」
「でも、提案はできる」大男はポケットの名刺入れから最後の一枚を取り出した。
「それが俺の仕事だ。おまえが千人目の顧客だ」