心なしか大男の声のトーンが変わった気がして、スーツの男は隣にいる巨漢を一瞥して再び川の方を見た。暗闇と街灯の下、川のせせらぎとカップルの喧騒が耳に届く。
「順調ですよ。年間のノルマもあと少し達成できそうですし、同期の中では一番成績もいいし。来年にはもっと出世できるんじゃないですか」
「じゃあ、生活の方はどうだ?」
「いいと思いますよ。お金にも困ってないし、もちろんくれるならもっと欲しいですけど、今のままで十分楽しく生きれてるんで」
「お金の話をしてるんじゃないんだ、ワークライフバランスのことを言ってる」
「ワークライフバランス」
その言葉に思わずスーツの男は横を向いた。大男と目があって、種類で言えば慈悲や憐憫の類を示唆する視線を読み取った。
「それは最悪ですね。今日だってホテルですし、ここ一週間、自宅に帰ってないですから」
「プレッシャーを感じることもあるか?」
「そりゃあ、毎日勝負してるみたいなもんですから」
「最後にいつ、全て忘れてゆっくり休んだ?」
「いつでしょうね。覚えてません。営業職なんでしょうがないですよ」
「いろんな営業の奴らと話したことがあるが、口を揃えて言うのが『しょうがない』だ」
「まあでもそれは事実なんで。時間かけて、先方のためにどれだけ時間を費やしたかで先方は熱意を感じて、契約してくれるんで。本当にしょうがないんですよ。あなたにはわからないだろうけど」
「でも、その『しょうがない』の中に、おまえでも認めたくない、飲み込めない『しょうがない』もあるんじゃないか?」
「どういう意味ですか?」
「おまえは、その『しょうがない』の一言で、本当に仕事全てを『しょうがない』と諦められてるのかってことだ」