スーツの男の遥か上から、フジテレビ本社の球体みたいな巨大な頭をした男の声がする。顔は上げられなかった。もしそんなことをしたら、絶対に泣いてしまうと確信があった。
「ありません」
「よし。やっぱり俺の勝ちだ。そしておまえはまだ帰れない。鴨川に共に座ろう」
「え?」スーツの男は緊張を解くことができなかった。鴨川に座る? あのカップルたちの隣に? カップルに嫌がらせ? 麻薬の取引? 月は大男のからだに隠れ、目を合わせるどころか、表情を読み取ることすらできなかった。「ついてこい」タンクトップの男は踵を返して歩き出した。その広い背中は、一人だけで橋の幅をすべて埋めてしまうほどに見えた。ふたりは下京側の鴨川の岸に腰を降ろした。隣にいるカップルは危険を察知したのか、その場所を離れ、サラリーマンの男は、自分の携帯電話を大男が持っていることに気づいた。
「あの、すみません。携帯電話、返してもらえますか? 仕事で連絡しないといけないところがあって」
「ダメだ」
「あの、ほんとに、連絡しないとダメなんです。クビになるんです」
「うるせえ。返す前にまずおまえ、どんな仕事をしてるんだ?」
あぐらをかきながら、大男は落ちていた石を川に投げた。
「──仕事はまあ営業ですね。ビジネス向けの」
「もっと詳しく」
「不動産です。主に法人ですけど、仲介業で、物件を売りたい企業を見つけたり、買いたい企業を見つけたりするっていう」
「今日は出張か?」
「そうです。明日の今頃は仙台にいます」
「仕事はどうだ? 順調か?」