小説

『a step ahead』奥田あかね(『鉢かづき姫』)

 また、日向は日向で、必要以上のコミュニケーションを押し付けないタイプのようであった。普段は賢治の黒子に徹し、それでいて助けが欲しいと思った時には既に先回りした対処がなされている。それも、自分の理解者ができたようで、賢治には好ましかった。
 「ありがたいことだ。幸い、自分には芸人時代にもらっていた給与がこれだけ残っている。お礼というわけではないが、何か欲しいものはないのか。日頃の細やかな支援に報いたいのだが、今の自分にできることはこれくらいなんだ。」
 賢治の申し出にも、日向は肩をポンとたたき、微笑むような気配を覗かせるだけであった。

 日向のサポートが始まってから1年が経つ頃、ふたりは日常の食事を共にするようになっていた。賢治がそれを望んだのだが、日向は快く了承してくれた。日向は一体いくつなのだろう、と賢治は思った。妙齢の女性であれば、既に恋人や家庭を持っていてもおかしくないと思ったが、自分への支援に一定以上の時間を割いてくれている彼女のプライベートに段々と関心を持ち始めたところだった。
 ある時、賢治は酔いのはずみで、つい口をすべらせた。
 「日向さんは、恋人は。」
 いつもの返事の代わりに、やや戸惑うような空気の動きがあった後で、肩をポンとたたかれた。
 「失礼な質問だったら許してほしい。日向さんの献身的なサポートのおかげで、僕は平穏な幸せを取り戻すことができたんだ。もし君に恋人がいたら、申し訳ないことをしてしまったのかと思ってね。もちろん、目が見えたこれまで通りとはいかないが、視力を失ってからの数か月は、我ながらひどい有様だったんだよ。いや、内面の酷さでいえば、売れていたあの時期のほうが上だったかもしれないな。」
 賢治は失った目の光を微かにまたたかせ、遠くを見つめるような表情を浮かべた。

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