小説

『あの日、隠したものは』粟生深泥(『天の羽衣』)

 晴樹とはそのままファミレスで一時間くらい近況報告を交わして別れた。
「彩夏ー、ただいまー」
 家に帰ると、事前の連絡通り彩夏が来ているようで鍵は空いていた。だけど、一歩入って違和感に気づく。彩夏が来ているはずなのにやけに静かだ。人の気配がしない。
 何かあったのか。慎重に部屋へ向かうと、ローテーブルの手前に彩夏が座っていた。こちらに背を向ける形なので表情は見えないけど、テーブルの上の何かを見つめているようだ。
「なんだ彩夏、いるなら声かけてくれて……も」
 言葉の途中で彩夏が振り返る。今まで見たこともないような顔の険しさに、息が詰まる。ファミレスでもらったメッセージはいつも通りだったし、晴樹としばらくそのまま話し続けたことを気にするようなタイプではない。
 どうしたのだろうともう一歩部屋に入って、息が凍った。
 彩夏が見つめていたもの、それはあの日鞄に隠した手紙だった。高校を卒業してからも捨てることもできず、ずっと持ち続けたままになっていた。
彩夏に合鍵を渡してから、一人で外に出る時には持ち歩く様にしてたのに。こんな時に限って忘れていったなんて。メッセージが来た時にちゃんと確認していたら。
「ねえ、彰斗。どうしてこれがここにあるの?」
 険しい顔とうって変わって静かな声。俺が何か答えるよりも先に首を横に振る。
「封も空いてないんだから、晴樹君の下駄箱から抜き取ったんでしょ?」
「彩夏、これは」
 彩夏は俺の言葉を待たずに手紙を持って立ち上がり、目の前まで歩いてくる。
 ドン、と手紙を胸に付きあてられた。
「ヒドイよ……」
 彩夏の手から手紙が離れてヒラヒラと床に落ちる。彩夏の目から涙が零れる。
「そんなことしなくても、私は……!」
 部屋から出ていく彩夏を追いかけようとして、一歩も動けなかった。だって俺は、彩夏にかけるべき言葉を何も持ち合わせていない。
 よろめく足で手紙を拾う。去り際の彩夏の言葉、せめてその意味を知りたかった。
 あの日、手紙を鞄に入れてから初めてその中を開く。中から出てきたのは短い言葉が紡がれた便箋。

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