小説

『鮒になった男』金子真梨子(『鮒女房』(滋賀県/琵琶湖))

 漁にでも出るか。思いついたが、客人を、それもこんなきれいな女を一人、このような頼りない家に残すのは、それはそれで恐ろしく思えた。なので仕方なく、自分も布団へ横になる。
「やっぱりお優しい方ね」 ふいの言葉に、源は短い悲鳴のようなものが喉から出かかった。女はくすくすと笑う。敷き布団と同じく薄い掛け布団が震えた。源は女を見た。女は向こうを向いて横向きに寝そべっている。白いうなじが、月明かりに光って見えた。心臓がどきりとしながら源は、その白い肌から目が離せなかった。――官能に酔うたわけではない――そのじっとりと艶めく白さを、どこかでみたことがあるような気がした。

 女は居付いた。源はふしぎとそれを受け止めて、同じ畳の上で起き、女の作った朝餉を、女と顔を付き合わせて食い、女の結んだ握り飯を持ち漁に出かけ、帰ってきては釣った魚で夕餉を女と共にした。女が来てから、漁の景気は良い。売った金で菜料を拵え、食卓は華やいだ。源の留守に女は細々と整えたため、散らばっていた棲まいは、気づけば小綺麗になった。季節の草花が飾られていた時など、源は思わずため息が出た。春には花を、夏には蛍を、秋には月を、冬には雪をふたりで眺めた。
 女はいつも少ししか食わなかった。食うのはいつも源ばかり。自分ばかり食っていけない。それで、思ったそのとき手の中にあった饅頭を、半分くれてやろうと思ったのだが、それはちっとも半分ではなかった。女は笑った。心底たのしげであった。
「大きい方は、あなたに」
 あなたが美味しそうに食べるところ、わたしは好きなのです。そうして小さい方を受け取って、頬を染めて微笑んだ女に、源は、なにかを思うより先に、口についてでた。まったくふしぎであった。ずっと前から舌の上にあったものが、ようやく本来の音となり声になり、女へ向かった心地だった。
「おれの嫁になってくれ」

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