幸いにして、勝野の新生活は中学校への入学からとなったため、学校生活に馴染むのは早かった。クラスでの友達もでき、部活動も始め、図書館に足を向けることがなくなったどころか本を手に取ることさえ少なくなった。
家庭の経済事情も詳しいことは知らされないままだったが、どうにか見通しはついたようで、高校にも大学にも進学できた。就職もしたし、結婚もした。しかし、子を授かる前に離婚した。
小学生のときの転校以来、時の流れに押し流されるように過ごしてきた日々が急に緩んだ。時の狭間にたゆたいながら、離婚を機に身の振り方を考える中で幼い頃の約束を思い出した。
宮木は唯一の友達である勝野を失って、あのあと、どうしたのだろうか。勝野のように中学校への入学による環境の変化で友達に囲まれて過ごしただろうか。
いや、そうではないだろう。宮木の物静かな佇まいを思い起こす。すると心の奥底にひっそり埋もれていた記憶が幻灯のように次々と映し出された。
大人になって図書館を建てられるようになったら一緒に掘り起こそうと約束をしたノートのことも。そして、その約束をするきっかけとなった本のことも。
『雨月物語』の『浅茅が宿』。妻を置いて商いに出た夫が帰るに帰れず年月を経るも妻は健気に待ち続け、ようやく帰郷し再会すれば、それは幻だったという話。
忘れていたはずの宮木との会話が耳の奥に甦る。
――『雨月物語』ね。知ってる。
――全部読んだ? 『浅茅が宿』は?
――読んだ。いちばん好きな話。
――この話、妻の名前が宮木だよね。宮木さんと同じだね。
――それがなに?
――美人だって書いてあったよ。
――死んじゃうけどね。
いやな予感がした。
勝野は職場に連絡して数日間の休暇を申請すると、あの小学校のある町へ向かう電車に乗った。
目的地の駅で降りると、町の様相はすっかり変わっていた。それもそのはずだ。あれからもう二十年近くになる。
かつての通学路を辿るうちに冷静さを取り戻しつつあった。
小学校に行ったところでなんになるのだろう。大人になったらあのノートを掘り起こそうと約束はしたけれど、大人とはいつのことだというのか。成人という意味なら、とっくに過ぎている。図書館を建てられるくらいの財力を持ったらという意味なら、一生来ないかもしれない。日にちどころか何年なのかも定かではない。消息さえ知れないのだ。
それでもここまで来たからにはと歩き続けた。町並みは変わっていたが、小学校は変わらずそこにあった。校門も開いている。