小説

『流れる』白川慎二(『舌切り雀』)

 ばあさんは先ほどまでのおじいさんの鬼気迫る表情は、それだったのかと思い当たりました。おじいさんは涙を流れるがままにして言います。
「実はここに来る前におチュンに会った。おチュンは喋ることが出来なくなっていたが、怒ってなどいなかった。穏やかな目をしていたよ。おチュンの代わりに他の雀が教えてくれたよ。大きなつづらは雀お宿の宝物で、それを開けた人にとって、その時、一番必要なものが詰まっているのだと。毒虫が出て、ばあさんは腰を抜かした。それで流れが止まった。わしらが乗っていた悪い流れから逸れることが出来たんだ。おチュンは生きている。わしらも生きている。なあ、やり直そうじゃないか」
 おばあさんは肯きました。肯きながら、私はずっと流されていたのかと思いました。泳いだという自覚はありませんでしたが、自ら選んで流れに乗っていたような気はいくらかして、おばあさんは何とも言えない気持ちでいました。今はただ、おじいさんの言葉に「ええ、ええ」と応えることで、別の流れに乗れるような気がするばかりです。
 いつの間にか、松明の灯は尽きていて、竹林を覆う闇は明るみ始めていました。朝がそこまで来ているのです。おばあさんは、ああ始まる、と思いました。その後に続くのは、もしかすると、私の人生が、という言葉なのかもしれません。
 横倒しになったつづらを、おばあさんがふと見遣ると、白い小さな生き物が飛び出して、竹林の奥へと、あっという間に消えていきました。おばあさんは揺れる枝葉を眺めながら、今駆けて行ったのは、あの日の子犬だと決めたのでした。

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