小説

『まち針心中』犬浦香魚子(『蛇婿入り』)

 武蔵丸の言葉を遮るようにして、真子は不意に、横穴から地上に出た。慌てて右折した武蔵丸が少年の姿になると、真子は振り向いて言った。
「じゃ、あんたは人間に恋はしないの?」
「誰がするかよ」
「ふん、つまんないやつ」
 武蔵丸が怒る前に、真子はしゅるしゅると縮んで、壁際の排水溝に入って行った。武蔵丸は「クソ!」と叫んでその穴を蹴飛ばしてから、自分も縮み、真子を追った。

 山茶花の生垣の下。二匹の蛇が、息をひそめていた。正面の駐車場の車止めには、一人の少年が座っている。
 武蔵丸はとなりの青大将にひそひそと囁いた。
「お前、出て行かないのかよ。待ち合わせしてんの、あいつだろ?」
 真子はふてくされでもしたように黙っている。武蔵丸はため息をついて、駐車場の方へ向き直った。
 学ランを着た少年は、ペラペラと単語帳をめくっている。やがて、真子と同じ制服の少女が、少年の元へ駆け寄って来た。
 武蔵丸は、ぽかん、と二人の人間を眺めた。
「あれが、雪」
 真子がぽつりと言った。
「雪?」
「あたしを助けた、女の人間」
「助けた、って」
「この駐車場でお昼寝してたら、車が入って来て、タイヤに挟まれて、出れなくなっちゃって」
「はー? ばっかじゃねー?」
 真子はぎろりと武蔵丸を睨んでから、話しを続けた。
「雪はあたしに気が付いてすぐ、あの男を呼びに行った。二人で車を後ろから押して、ちょっと隙間が出来たから、あたしは抜け出せて、急いで逃げてった。だけど、人間に借りを作っちゃったし、雪にお礼をしなくちゃと思って……」
 制服姿になった真子が秋アザミの花束を手にして戻って来ると、雪はいなかった。真子は待つことにした。山茶花の生垣に頬を寄せるようにしてぼんやり立っていると、すっかり日の落ちた頃になって、この男が現れたのだった。

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