小説

『まち針心中』犬浦香魚子(『蛇婿入り』)

「おまえも、知っているだろう、わたしは確かにむかし、恋をしたよ。人間の、可憐な娘でね、わたしは人間の姿をとって、毎晩毎晩、その娘のもとに通ったものさ。けれど、ごらん」
 白蛇はそう言って、真っ黒になった尾の先をかるく振った。
「わたしはこの通り、尾に針を刺されて、ほとんど死んでしまうところだった」
 白蛇は寂しそうに笑って、
「何匹もの他の蛇たちが、わたしと同じあやまちを犯して、死んでいる。おまえの父親もそうだ。七匹の小さな青大将を産ませて、死んでしまった。その子らは池へ沈められたが、おまえだけが生き残った」
 白蛇は少女を優しく見つめたまま、言葉を続けた。
「おまえは力がつよく、人間の姿もとれる。だからといって、人間と慣れ合ってはいけないよ。わたしたちのあやまちを、繰り返してはいけない」
「白蛇様も、そういう答えしか言ってくれないんだ」
 真子は唇を尖らせた。
「おい真子」
 真子は驚いて振り向いた。いつのま来ていたのか、すぐ後ろの地面にヤマカガシがいる。しゅるしゅると膨らみ、ブレザーを着た少年が現れた。
「お前はちょっとは、言うこと聞けや」
「武蔵丸! 盗み聞きなんて、サイテー!」
 白蛇はちらりと武蔵丸に目をやって、
「どうしたかね、ヤマカガシの少年よ」
「別に、通りかかっただけさ。俺はそこのアホみたいに、わざわざ人間に恋したりなんか、しないんでね」
 白蛇は首をもたげて、しゅるりと舌を揺らしていたが、何も言わずにそのまま祠の後ろへ去って行った。あたりの草がしばらく、波打つように揺れていた。

 一匹の青大将と、一匹のヤマカガシが、暗い排水管の中を縦に並んで進んでいる。
「なあ、あいつだろ」
 後ろから、武蔵丸が問いかける。
「このところ、あの駐車場で喋ってる人間だろ。塾の帰り道だっつって、夜にさ、なにあれ、待ち合わせしてんの?」
「黙っててよ!」
 真子がいきなり止まって振り返るので、武蔵丸は体に急ブレーキをかけなければならなかった。
「あぶねえな!」
「ていうか、ついて来ないでって言ってるでしょ!」
 真子はそう言い捨てて、ぬるりと排水管の穴を抜け出した。しゅるしゅると少女の姿になって歩き出す。武蔵丸も慌てて後を追い、少年の姿になった。
「なんで、人間のとこなんか行くんだよ。白蛇様の話をもう忘れちまったのか? 蛇に金気はご法度なのに、うかうか針なんか刺されてよ。あ、ジムグリの慎太郎だってこないだ、女の人間と付き合ってお揃いのピアスなんかしてさ、その日のうちに顔から腐って死んじまったじゃねえか」
 真子はちらりと背後の少年を見遣ると、
「あんたのそれは、なんなのよ」
 と、言った。武蔵丸の両耳には、ピアスがいくつも光っている。彼は平然と、
「樹脂」
 真子は、ふんと鼻を鳴らして、しゅるしゅると縮んでいった。生垣の下から、また別の排水溝に入ってゆく。武蔵丸も後を追いながら、畳みかけるように言った。
「なあ、ジャノメ先生だってそうだぜ。男の人間にほだされてさ、正体がばれて、自分で片目をくり抜いてガキのおしゃぶりに置いて来たんだ」
「ジャノメ先生は、あれは生涯で一番の大恋愛だったって、言ってるわ」
「言うだけさ。結局、一緒にいられなかった事実は変わんねえんだ。俺らはいつだって、自分の領分を間違えすぎる。はじめっから誤んなきゃいいだけなのに、なんで……」

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