小説

『まち針心中』犬浦香魚子(『蛇婿入り』)

 カシの木の下。プリーツのスカートをくしゃくしゃにして、少女が寝転んでいた。あたりは、見渡すばかりの草原。ざわざわと揺れる草に合わせて、制服のリボンがひるがえる。
 すぐ耳元の地面から、怒った声が飛んできた。
「真子!」
 真子は「ジャノメ先生」と慌てて起き上がった。片方目の無いシマヘビが一匹、真子にむかって鎌首をもたげている。
「また人間の恰好して! 子蛇たちが真似するから、やめなさいって言ったでしょう」
「だって……」
「まったく、そんな恰好で、一体どこに行って来たのよ」
 真子が言い淀んでいると、カシの木の枝ががさりと揺れた。太い枝に、ブレザーを着た少年が立っている。彼はシマヘビに向かって、
「そんなの、町に決まってるじゃんか」
「ちょっと、武蔵丸」
 武蔵丸は軽々と飛び降りると、スラックスのポケットに両手を入れたまま、しゅるしゅると縮み始めた。スニーカーの両足が踏んでいた地面に、一匹のヤマカガシがとぐろを巻いている。
「ほっとけよ、ジャノメ先生。どうせ町に出たところで、なんもできやしねーんだから」
 真子はじっとヤマカガシを睨み下ろしていたが、彼女もやがてしゅるしゅると縮んでいった。ローファーの足跡の上に、一匹の小柄な青大将が現れる。
 ここは、くちなわ園。行き場を失った蛇たちの、隠れ家である。

 草原のあちこちを、蛇たちがすいすいと行き来する。木陰で眠るもの、ネズミ狩りの準備をするもの、コスモスが咲く中しっぽ取りをして遊ぶもの。
 真子は一匹(ひとり)、草原をひたすら奥へと進んでいた。どこまでも続くような草の間に、ぽつん、と小さな祠がある。
「白蛇様」
 と声をかけると、小さな祠のすぐ後ろから、低い声が返ってきた。
「呼んだかね」
 姿を現したのは、太い、一匹の巨大な蛇だった。全身を真っ白に輝く鱗で覆っているが、尾の先だけが、干からびたように黒い。
 真子は、しゅるしゅると制服の少女の姿になると、膝を抱えて座り込んだ。
「どうしたのかね、青大将の娘っ子」
「ねえ、白蛇様は、もう人間にはならないの?」
 白蛇はしゅる、と赤い舌を出して揺らした。それから優しい声で、
「ならないよ。わたしたちには、守るべき分というものが、やはりきちんとあるんだよ。だからおまえも、その姿でい続けるのは、あまり感心しないね」
 真子は俯いたまま、「だけど」と言った。
「白蛇様だって、むかしは、恋をしていたんでしょう」
 白蛇はしゅる、と舌を揺らして、ちょっと首をもたげた。
「おまえ、恋をしているのか?」
 真子は、唇を引き結んだまま、自分の膝を見つめた。白蛇はもう一度舌を揺らして、
「おまえ、人間に恋をしているのか?」
 真子はじっと黙ったままだ。白蛇はふう、と息をついて、鎌首を元に戻した。彼はそれから静かな声で、真子に語った。

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