それから翔は自分自身に言い聞かせるかのように話し始めた。
あの年、彼の母親の病気が見つかり、手術と治療のために翔は奈良の祖父母の元に預けられ転校することになった。病気のことは翔には伏せられた。知らせたくないという母親の強い希望だったからだ。再婚相手に反発しその上母親が病気だと知ったら、感受性の強い翔がどうなってしまうのかと心配だったようだ。
母の病気は再婚相手の男性が支えた。そのおかげで母は元気になったという。
「僕は憎み続けただけで、何もしてやることができなかった」
いつの間にか雨がやんでいた。
私は声を掛けることができず、青葉を抜けた光が翔の顔にやさしく当たっているのをただ見詰めていた。
高校生になって全てを知った翔はことあるごとにお山に登り、お詫びをし、願いを込めたという。
「美羽のおかげもあるかもしれないね、母が元気になったのは」
そんなんじゃない。
そんなんじゃない。
「ありがとう、時計を持ち帰ってくれて」
私はますます小さくなり首を振った。時計を持ち帰ったのは、子ども心に神様を怒らせてしまったら大変だと思ったからだ。翔の苦しみなど知らずにしたことだった。
雨粒が頬に当たりポトンと落ちる。
良かった。翔が今、幸せで。
紅葉の季節は美しい。でも私は青葉のこの季節が好きだ。
雨に濡れ青くつややかになりながら揺れている木々が好きだ。
青を湛え霞の向こうで揺るぐことなく鎮座しているご神山が好きだ。
毎日見守られ、毎日元気をもらっている。
今日も胸いっぱいに神様の吐き出した澄んだ空気を吸い込む。
くよくよ悩んでなんていられない。今日も私は生きている。