小説

『蘇る昔話の神』霧水三幸(『長者ヶ森(山口県)』)

「近くに駐車場もあるし、せっかくだから見てくか」
 助手席側の窓に視線を戻せば、確かに彼が言うように駐車場らしき場所がうっすら見えた。
 小屋らしき影はトイレだろうか。別段行きたいわけではないが、この先いつ入れるかわからないという不安がドライブ旅行にはつきものである。ならば緊急性はなくとも入っておくか、という判断を脳内で下した。

 ――

「やっと出てきた、今から歩いて長者ヶ森を見に行くぞ」
 彼は会社でもそうだが、つくづく一言多い。
 女性は一人一人トイレの使用時間が長い上並んでいる人数もこちらの方が多かったのに、と内心で反論するが、しかし口には出さず「お待たせ」とだけ告げておく。
 ともあれ、駐車場の公衆トイレから出た私達はそこから歩いて長者ヶ森を目指す事になった。
 ドライブ前から決めていた訳ではない。彼はいつも気まぐれで行き当たりばったりなのだ。何ならこのドライブも、会社の盆休み直前になって突然「どこか行こうか」と提案されたのが発端だ。
 そのまま互いの居住地である広島から無計画に西進、無計画に隣県に突入し、無計画に国道に突入し無計画に走り続けているのが現在。
 そろそろ時刻も夕方に差し掛かり始めているため宿泊場所を見つけたいが、口下手かつ引っ込み思案な性格なのでなかなか言い出す機会が見つからずにいる。
「少し距離はあるけど、森自体は小さそうだからすぐ戻れそうだな」
 こちらを振り向きもせず、思うままに下草を踏み分けていく彼。高身長の彼に対し私は小柄なので追いつくには小走りにならなければならず、いざ森を目前とする頃にはすっかり息が上がってしまっていた。
 周りに人の姿はないが、私の扱いは傍目から見てもカップルかどうか疑わしいくらいぞんざいなのではないか、と我ながら思う。
 そう思うなら何故別れないのかという話なのだろうが、私は自分で言うのも何だが自己肯定感がかなり低く自信がない。彼氏が出来たのは初めてだし、もう二十代も半ばに差し掛かっているため別れればこの先二度と男性から声がかからないだろうと考えている。
 それに破局でもすれば噂が立ち会社に居づらくなるだろう。彼以外に仲のいい社員はいない。間違いなく会社で孤立すると考えてしまうと、現状維持が一番楽で安心できるからとりあえず我慢を選んでしまう。
 リスクをとってまで今を変える勇気は、私にはなかった。
「何やってんだよ、さっさと行くぞ」
 ボーッと突っ立って考え事をしていた私に、やや苛立ちを含む声がかかる。今でこそ私を見下し横柄に振る舞う彼だが、これでも付き合い初めは優しかったのでこの変貌ぶりに内心辟易する。
 即日こうなった訳ではないが、徐々に本性――釣った魚に餌をやらない性質が隠しきれなくなってそのままだ。
 だが内心の不満はどうあれ、喧嘩にでもなれば置き去りにされるかもしれない。そうなれば車もなく無免許な私は途方に暮れ路上で一夜を明かすしかないという考えが瞬時に浮かんでしまい、やはり何も言い返せず謝りながら彼の後についていくのだった。
「……わあ、空気が綺麗」

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