小説

『段ボールの獅子頭』平大典(『屋台獅子(長野県南信州地域)』)

 飲み切って、ため息を吐いたところだった。
 こん。
 聞き慣れない奇妙な音だった。
 こん。こん。
 耳を澄ますと、リビングから聞こえてくる。
 もしかして、泥棒か。まずいな。
 僕は音を立てないように、リビングへ向かった。
 真っ暗で静かな空間には、人の気配がない。
 だが、僕は目を丸くした。
 音の正体は、和葉特製の獅子頭だった。
 いかつい顔をした段ボールの獅子が、かつんかつん、と音を立てながら、八の字に動こうとバタバタしている。
 頬を汗が一筋垂れた。僕は察していた。
 なんということだ。
 あいつもまた舞を踊りたいのか。
 僕は音をたてぬように、その場を立ち去った。
 妻を起こさないようにベッドに戻ったが、眠るに眠れなかった。
 翌朝、僕は朝一番で父親に電話した。

 
 次の日曜の朝、和葉は九時前に起きてきた。
 リビングに来た和葉は眠たそうにパジャマのままで、目を擦っていた。
「おい、和葉」
 先に起きてきていた僕が声をかけると、和葉は不機嫌そうに顔を上げた。
「お父さん、なに」
「ちょっとこい」
 僕は和葉を庭先に連れ出した。
 そこにあるものを目にして、和葉は一気に目を見開いた。
 次の瞬間には、キラキラとした子供らしい笑顔に切り替わる。
 和葉特製の獅子頭。
 その後ろには、高さ一メートルほどの車屋台がくっついていたのだ。
 竹組の胴体に、水玉模様の幌。まあ、本物よりはだいぶ小ぶりだが。
 製作には時間がかかった。父親にお願いして竹材を調達すると、仕事帰りに実家の倉庫を借りて、竹を削った。
 妻には仕事が忙しいといって、屋台を作っていることは隠していた。
 骨組みが出来上がったのは金曜日の夜で、土曜日はほぼ丸一日潰れた。幌はこの辺りの祭り製品一切を扱っているお店屋さんで調達してきた本格的なものだ。
 努力の甲斐はあったようだ。
 和葉は、きゃっきゃとして庭先を飛び回っている。
 彼女が人を驚かせたがる性質なのは、僕の遺伝であるらしい。
「なにこれ!」妻も大声を上げて、庭先に出てくる。ポケットからスマホを取りだすと、写真を撮り始めた。「サトシくん、こういうのできるんだ。今度、棚でもつくってよ」
「むりだよ。もうへとへとだ」
 和葉は獅子頭を早速被って、「お父さん! はやく!」と声を張った。
「よし」
「いやいや」妻が屋台に向かおうとした僕を手で制した。「ここは私の出番でしょうね」
 妻は驚くべき速さで、屋台の中にすっぽり入り込んだ。いつの間にスマホを操作したのか、祭囃子を流し始める。
 行動力は、妻の遺伝で間違いあるまい。
 和葉は高らかな笛の音色に合わせて、獅子頭を上下左右に動かして、前に進んでいく。屋台がそれに合わせて動き出す。
 日曜日の朝、僕の家の庭先で屋台獅子がにぎやかにぐるぐると回っている。
 段ボールでできた、いかめしいはずの獅子の顔はなんとなく笑っているように見えた。

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