小説

『本物。』斉藤高谷(『忠直卿行状記』)

「こないだの〈殿決め〉もだけど、ホントに実力で勝ったと思ってるのかな」
「そこまでおめでたくはないでしょ」
「けどそろそろしんどいよね、手ぇ抜くの」
「だって、みんなが本気出したら自信なくしちゃうよ。そのまま死んじゃうかも」
「それ困るー。スキャンダルとか勘弁だわ」
 私は自分のスマホに〈111〉と打ち込み、ダイヤルする。一度通話を切ると、程なくして〈111〉からの着信が来る。
 初期設定のまま変えていない電子音が廊下に響いた。〈家臣〉たちが体を強ばらせるのが遠巻きにもわかった。彼女たちは辺りを見回すと、身を縮ませるようにしてそそくさと去って行く。
 私の目の前には、二人の姿をいつまでも見つめている百花の横顔があった。

 〈殿〉の座に就くチャンスは全ての〈家臣〉に公平に与えられている、一応。
 新曲発売ごとに七人の中で〈殿決め〉と呼ばれる内部オーディションが催される。曲ごとにグループのイメージを刷新するためのシステムなのだが、百花の前では機能不全を起こしている。
 歌と踊りの出来映えという、評価する側の主観に寄る部分の多い採点方法は遺恨を生みやすい。その勝者として、常に君臨しているのが百花なら尚更だ。「いっそ殴り合って最後に立っていた人間が〈殿〉をやればいい」とは百花の言葉だ。彼女はそれでも勝ち抜く自信があるようだ。
 顔と体が資本である以上、相手を立てなくなるまでぶちのめすわけにもいかないので、結局は歌と踊りで競うことになる。〈殿決め〉では参加者全員がメインの歌とダンスを披露する。二人一組で審査に掛けられ、そのトーナメントを勝ち抜いた者が〈殿〉となるのだ。
 新曲『姫、恋にご乱心』の〈殿決め〉は、あの廊下での立ち聞き以来初めて行われたものだった。
 組み合わせ抽選の結果、最初に百花と当たることになったのが立ち話をしていた片方だった。この時点で相手の少女は青ざめていた。何らかの経緯で立ち話のことが百花の耳に入ったと知っていたのかもしれない。
 二人が横並びになり、同じダンスをする。百花の動きにはキレがあり、相手の方は見るからに萎縮していた。結果は歴然だった。けれど百花は審査員たちに「もう一度やらせてください」と申し出た。自分の動きに納得がいかないのだという。それから彼女は相手の少女に「本気、出していいよ」と微笑みかけた。
 あ、と私は思った。
 百花の眼には光が宿っていた。本気になった時に見せる、炯々とした眼差しだ。
 二人の審査は七回繰り返された。百花が顔色一つ変えず八回目を要求したところで、相手が部屋の隅へ駆けていって嘔吐した。
 続く二回戦での相手は、奇しくも立ち話のもう一方の片割れだった。こちらは一回戦の相手よりも更に青い顔をしていたけど、萎縮はしていなかった。むしろダンスは破れかぶれといった調子で、腕をブンブン振り回し、隙あらば百花を殴り倒そうとしているかのようだった。

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