小説

『あきらめよう』洗い熊Q(『諦めている子供たち』)

 こんな丸い鼻はない。細い目はない。薄い眉もともとないって。
 色んなものがない、ない。
 そう見ると周りもいっぱいないばかり。
 生意気なアイツはない。
 お高くとまってるあの子もない。
 絵空事ばかり言う彼もない。
 認めてくれない親もない。
 それだったら一番ないのがあった。
 そう、私。
 こんな私はいらないって。

 
 不定的な言葉の綴り。その内容に少し可哀想に見えた。でも弾きつづける彼女の姿には悲壮感などない。
 大きなギターにしがみつく様にして、それでも奏でた音をその小さな身体で受け止めている。
 そこまで必死になって、何を伝えたくてしょうがないのだろうか。

 
 ――いらないって思った時。
 生きるのもあきらめようとしたんだ。
 でもそれをあきらめるってどうすればいいの?
 死んじゃえばいいのか。
 でも死んじゃったら、あきらめられないじゃない?
 そうだ、そうだよ。
 私はあきらめが悪いんだ。
 あきらめないから生き辛いんだ。
 あきらめないから死ぬのも恐いんだ。
 そうだ、そうだよ。
 どっちにしたって辛いんだ。
 こんなあきらめられないって気づかない事が。
 そうだ、そうなんだよ。
 だったら生きるのあきらめよ。
 死ぬのだってあきらめよ。
 そう思うと、あきらめるのがいっぱい広がるんだ。

 
 字幕に現る言葉の連続が何か力強さを現す様に、彼女の絃を弾く強さも増していった。
 歌わない彼女は振動する音に全てを乗せて、その抱え込んだ木の空洞底から震わせる音色を奏でていたんだ。

 

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