小説

『あきらめよう』洗い熊Q(『諦めている子供たち』)

 説明通り、コードから動画サイトに飛ぶ。動画は静かに白地のタイトル「あきらめよう」を写し出す。
 始まりは先程の夜の路上と似た風景で、彼女はまた座り込んで大きめのギターを抱えていた。
 今度はマスクせず顔を出している。思った通りかなり若い子だ。
 これはPR動画かと。あの路上と同じ様に力強いが、控えめな音でギターを弾き始めた。
 最初は歌声が聞けるかと思っていた。イントロを奏でる。
 スローでバラードな曲調。しかっりと一音を大事に。そう印象づける彼女の演奏だった。
 暫く続くイントロにいつ歌い出すかと聞いてたが、息づきなく曲はメインのフレーズに入ってしまったようだ。
 歌わないのかと思った時、下部に字幕が流れ始めたのだ。

 
 ――あきらめよう。あきらめよう。
 色んなのをあきらめて楽になろう。
 投げ出して逃げ出す為に。
 あきらめようと思った。
 人生にだって元気にだって。
 全てあきらめようと思ったんだ。
 ルージュを投げて。ヒールも投げて。
 全部あきらめようと決めたんだ。
 どれも捨ててしまえば、あきらめられると信じたんだ。

 
 流れる字幕は歌詞かと思ったが、出るタイミングが全く曲のフレーズに合っていない。彼女も歌い出す仕草さえない。
 これはただの詩なのか? それとも自分の内に隠したものを吐き出すだけなのか。
 いや、それが詩か。訴えたいものを、伝えたい思いを綴るもの。流れる曲は一種、演出なのだろうか。バックミュージック。でも何故? そんな手間を掛けて。
 しかしそんな思案をよそに画面の彼女はたおやかにも心魂を込めて奏でいる。その音に暫し聞き惚れ、字幕を目で追い始めていた。

 
 ――あきらめるために捨て始めたら。
 全部をないだと思い始めた。
 派手なピアスはないで。
 太い脚を見せるミニはないで。
 情熱的な赤は私にはないと感じた。
 そう思ってしまうと、体にもいっぱいないがあって。

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